Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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イチローのMVPに敬意を表します。よくやった。
で、以前に書いたような気がするのですが、今一度。
毎日お茶を買って事務所に入るのですが、まだ、福建省産茶葉使用とか謳っているウーロン茶があります。とある会の副会長の頭から虹が出るようなこのむし暑さに感謝しなければいけない稼ぎ時でもある飲料メーカーは何を考えているのでしょうか。
今日もまた静岡産茶葉使用の緑茶か、国産六条大麦使用の麦茶に「もふっ」と手が伸びます。
「お茶の成分が沈殿することがありますが、品質には変わりがありません」
「お茶「以外」の成分が沈殿することがありますが、品質には変わりがありません」
いや、品質には変わりはあるだろう・・。
「君子危うきに近寄らず」といったのは中国人じゃなかったでしょうか?
今後、食品を中心とする輸出品は「中国政府の検査を通している」(怪しさ増量)と表示したところで、買わないことに変わりはありませんが。
反日で国内の不満を日本に向けさせている中国が、日本に感謝したこともあります。
(目的のために手段を選ばないのだという大きな声もありそうですが。)
「大和心を人問はば・・・iza版」の小龍景光さんのところから抜粋させて頂きます。
ご存知の方も多いかと思います。
「日本がロシアに勝った。これはアジア民族のヨーロッパに対する勝利であり、アジア諸民族は非常に歓喜し、大きな希望を抱くに至った」
~中国の国父 孫文
~中国の国父 孫文
他のアジアの国では、
「日ロ大戦の報、長夜の夢を破る」「日露戦役は実に私たちの頭脳に一世界を開かしめた」
~ファン・ボイ・チャウ(ベトナム)
~ファン・ボイ・チャウ(ベトナム)
「アジアの時代が来た。アジアがヨーロッパに対して立ち上がるときが来た」
~エンリケ・コーポラウ(後のフィリピン国会議員)
~エンリケ・コーポラウ(後のフィリピン国会議員)
「私が若い頃に日露戦争があったが、日本勝利のニュースを見たくて新聞が待ち遠しかった。また大国ロシアに勝った日本を知りたくて、日本に関するあらゆる本を読んだ」「日本の勝利はアジアにとって大きな救いであった」
~ジャワーハルラール・ネールインド首相
~ジャワーハルラール・ネールインド首相
「日本が西欧との戦争に勝利したことを誇りに思う。われわれは心から日本人の勇気と規律、鉄のような意思、不屈の力によって勝利を収めた日本に心からの祝意を送る。日本だけがアジアの名誉を救った」
~インドの新聞 メサイ紙
~インドの新聞 メサイ紙
「国家の命運は国民の自覚と愛国心で決するものであり、トルコも日本に見習い近代化を進めるならば決して悲観するべきではない。国家の命運は国民にあり。」
~ペルテブ・バシャ トルコの観戦武官
~ペルテブ・バシャ トルコの観戦武官
というのがありました。
そして、親日国として有名なパラオのこと。
あと、パキスタンでの出来事も書かれています。
以下は、経験談ということです。
(抜粋始め)
そんな親日国のひとつにパキスタン(パキスタン回教共和国:首都=イスラマバード)があります。私自身も学生の頃の一時期、父の転勤につき合ってイスラマバードで暮らしていたことがあります。この国はみんさんご存じの通り、第二次世界大戦後インドから独立した国ですが大東亜戦争当時はインドの一部でした。
この南はアラビア湾に面し、北はカラコルム山脈とヒマラヤ山脈に向き合う国で暮らした時期は、私の人生の中でもとりわけ素晴らしい日々でした。私は学生の身分という気楽さと、たっぷりとした時間をフル活用して街の様々なパキスタン人と交流しました。その多くがとても貧しい人々です。でも、ほとんどの人が日本を知っているだけではなく、日本に強い親愛の感情を持ってくれているのです。
特に仲良くなったのは外国人のために運営されているゴルフクラブにいるキャディさんとボールボーイたちです。だいたい10歳から20歳くらいまでの男の子がアルバイトをやっているんです。年が近いこともあって、いつもゴルフが終わってからの1時間くらいをクラブハウスの前の芝生で(パキスタン人である彼等はクラブハウスには入れないんです)車座になっていろんな話しをしました。
彼等はほとんど学校にも行ってない人たちですが、自分の国がどうして貧しいのか、日本は戦争では負けたのにどうしてこんなに発展したのか・・・・。彼等はみんなパキスタンを日本のようにしたいと言っていました。滞在の後半ではゴルフをするためにクラブに行くのか、彼等と話しをするためにクラブに行くのか分らないくらいでした。それほど彼等との対話は楽しかったんです。
ある日、日本人の奥様方(ご主人が大使館や民間企業の駐在員の奥様方です)およそ29名のボディーガードを兼ねてラワルピンディという古い町のバザールに行きました。奥様方の目的は「宝石」なんです(確かにきれいですが、どうしてあんなに夢中になれるのか不思議ですね~)。確かに日本では考えられないくらい安く買うことができる・・・。
で、私は暇だな~って思いながら奥様方のお買い物を眺めていたんですが、そこに体格がとてもがっしりしたパキスタンのご老人が声をかけてくれました。ご老人曰く店先においてある石はロクなものがないとのことでした。後から知ったのですが、ご老人はその辺りの宝石店を仕切っている方で特別に原石を磨いている工房に案内してくれました。そこでけっこう大粒のとても綺麗にカットされたルビーを「プレゼントだ」と言ってぼくの手に取らせようとするんです。
もちろん初対面のご老人からタダでそんなものを受け取るわけにいかないので固辞していたら、ご老人が昔話を始めたんです。
ご老人は大東亜戦争当時にインド人義勇兵として日本軍に合流してイギリス軍と闘ったということでした。具体的にどこの戦場でという話になるとご老人の記憶も曖昧な部分があるのですが、たぶん話の内容からインパール作戦などに従軍したのではないかと思います。その当時のぼくは大日本帝国の戦争は基本的に侵略戦争だと思っていました。また、インパール作戦ならば非常に厳しい闘いでしたので大変な目にあったんだろうと思い、そのご老人が日本人である私に何か恨み辛みを言うために話し出したんだと思いました。
いまにして思うとそんな浅はかなことを考えたことがとても恥ずかしいのですが、ひょっとすると自分はこの工房から生きて出られないかも?などと思ってしまいました。
ところが、ご老人は私の手を取って「日本人はアジアの英雄だ。自分は日本人と共に闘えたことを誇りに思う。日本人に出会って初めて外国人から対等の人間として扱ってもらった。君は男だから生まれたときがもう少し早ければ自分の戦友になったかもしれない。だから友情のシンボルとしてこの宝石を受け取って欲しい。」と言ってくれました。
この日から自分の育った国の歴史についての考え方が大きな転機を迎えたと思います。
大日本帝国とその時代に生きた日本人の掲げた理想とは何だったのか?それは本当に非難されるようなものだったのか?現在に生きる日本人はもう一度振り返ってみる必要があると信じています。
(抜粋終わり)
追伸:
書き出した時は、参院選か台湾のおじいちゃんの話を書こうと思っていたのですが、全く違う方向に行ってしまいました。
抜粋が多く、私自身は手を抜きながら、普段より上等の文章になる高等技術ですね。
では、Ĝis revido ! (ジス レヴィード)
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