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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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大阪のおすすめの「THE大阪」という場所を教えてくれという依頼が地方の知り合いから先程舞い込みました。

THE大阪でいいねんな」と確認。

録音して言質をとっておこうかとも思いました。
今度、夫婦で来阪するといいます。
「とりあえずUSJにしとけよ」と思いましたが、
言葉を飲み込み、思案中。





ホッホッホッホ・・・。ソワソワ、ワクワクしてきます。
 
 

まず、大阪城で昔に思いを馳せるのも楽しいものです。
しかし、それなら私の必要性がなくなるかも・・?
 
天守閣の下の石垣では寝そべって鉄砲がうてる形に削られてあるし、その他もろもろ面白いですね。昔の名のある武将はみんな偉大な建築家です。もともと水の都、商人の町といわれた大阪ですが、秀吉の時代は治水が要だったわけです。そこで内掘と外堀との間にそれぞれの地方出身者の町や職人の町を作りました。

現在でも地名に色濃く残っています。
例えば、阿波座は阿波(徳島)の商人を集めました。道修町(どしょうまち)は、今でも薬の町で、製薬会社の本社や問屋がずらっと並んでいて、神農さん(少彦名神社、張子の虎が有名でしょうか)があり、医薬の神様(少彦名命(すくなひこなのみこと)一寸法師のモデルともいわれている)が祭られています。で、少彦名命といえば兄弟の契りを結んだ大国主命(おおくにぬしのみこと)も同じ医薬の神様で、こちらは地下鉄大国町に大国主神社(通称、大国さん)があります。日本神話の中の神です。(天照大神との繋がりやアマテラス製薬については割愛)全国の神々(国津神)が出雲の大国主に集まるから10月は神無月です。大国主は国津神(くにつかみ)。アマテラスは天津神(あまつかみ)なので、天津神の神社には神無月がないのです。(※国津神=地に現れた神々の総称。地の象徴。代表格が大国主(スサノオ系)。天津神=天降った神の総称、天の象徴。代表格がアマテラス)うっかり寄り道すると日本神話にまで飛んでしまう危険性を今感じました。(日本神話はまた日をあらためます)
その他を挙げても、伏見町淡路町高麗橋、もうきりがないです。
立売堀(いたちぼり)は伊達政宗が大阪の陣で陣所を設け、掘りを掘って更に開発した伊達掘り(だて→いだち→いたち)からの由来があります。天下茶屋(てんがちゃや)などもあります。
「茶臼山でドンコ釣り~」じゃりんこチエでお馴染みで、大阪冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が布陣した山もあります。
治水の町と書きましたが、秀吉は、河川を利用した外堀を作ったときに、堀の外側を内側よりもわざと弱く造りました。そうすることによって、河川の氾濫があったときには、外側が先に決壊するようになり、その結果、内側の町を守るのです。これは戦術的にも使える技法です。野戦よりも城攻めが上手いといわれた建築の天才たる所以がいくつも城作り、町作りに散りばめられています。
市内では何丁目という表示は大阪城に近いほうから1.2.3.4丁目となっています。ですから、大阪城から見て、北と南、東と西はそれぞれ反対に1.2.3.4となっています。確認しても面白いと思います。目的地近くになり迷ったら太陽で方角を判断するのではなく、ここは何丁目なのかで判断できることもあります。(近くまで来ている場合ですが)
歴史が好きなら当時の復習をして臨まれるのがお勧めです。

結論
      地図を持って天守閣から空想してください
   


しかし、「THE大阪」というリクエストですから、
きっと教科書に書いてないものがいいはずです。
男だけならアレなのですが、奥様もいますのでナニがアレでナニでしょう。教科書に書いてないことを、どこまでここに書いていいのか判断がつきませんが。とりあえず、知人夫婦に宣言します。
 
 

さぁ、君たち、ぶつかり稽古の始まりだ。


(つづく)
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中国外務省傘下の雑誌「世界知識」では、
産経新聞を「言論暴力団」「保守御用喉舌」
朝日新聞を「広範な大衆を代表する進歩的メディア」と紹介。
 
 
「腹が立ったら十まで数えよ。それでも怒りが収まらなければ百まで数えよ」というのでまずは落ち着きますが、「最初に言葉で譲歩すれば、その次にはだんだんと事実についても譲歩してしまうものだ」とフロイトさんは言っています・・・

 
 
青木直人氏(中国や北朝鮮関連の著書で注目されている)が月刊誌「力の意志」に寄稿した(2007年4月号)「中国でのNHK国際放送を確たる理由もなしに中国当局が止めた。まさに人治国家・中国はリスクを自ら露呈した」という文章から以下一部引用。
 
昨年の夏、日本では知られていないある事件が中国国内に住む日本人社会を直撃した。現在、中国にいる在留邦人が日本の情報を取るため最大の拠り所にしているのがNHKの国際放送だが、実はこの放映が昨年8月からほぼ2ヵ月間、中国当局によって妨害されたため、受信不能になっていたのである。
映像が突然見られなくなったのは8月15日の終戦記念日からで、云うまでもなく、この日は中国が非難し続けていた小泉前首相の靖国神社参拝が行われた当日である。突然の出来事に理由を問い質した日本人関係者に対して、中国側から帰ってきた言葉は「13億中国人民の抗議の意思を表明したものだ」という、およそ感情的で幼稚な常識を欠いたものだった。
 最終的に妨害が解除されたのは、安倍新首相が中国を訪問した10月8日の当日。実に50日間以上も嫌がらせは続けられていたのだった。解除の理由は「中日友好のため」だったという。問題なのは、当事者であるNHKが受信料だけは徴収していながら、この暴挙に対して抗議もしなければ、報じてもいないことだった。こんな姿勢でまともな中国報道ができようはずがない。
(引用終わり)
 
 
 
某局の上層部の人から実際に聞いた話として、実は先進国で一番情報規制されているのは日本らしいです。低俗な番組を流すわりに、大事なことを伝えないことも多いと。本音だと感じましたが、しがらみが多すぎるのでしょうか。
 
蛙を熱湯の中に放り込んだ場合はすぐに飛び出す。徐々に水からぬるま湯という具合に温度を上げていくと最後は飛び出せずそのまま死んでしまうという話もあります。人も案外同じであるという風刺ですが、現在、メディアもそのような状態に置かれているように思います。
 
 
 
部下にコンビニで弁当とサラダとお茶を買ってきてくれと頼む。
そして、部下が戻ってくる。
 
私「ん?俺はサラダを買ってきてと言うたよな」(そして呼吸を整える)
 
部下「はい!!」(仕事以外は元気です)
 
 
 
 


私「じゃ、なんで切干大根やねん!!」(味な真似をしおってからに・・・)
 
 
 
 
部下もメディアもいつも同じようなスカタンしやがるんですが、わざとですか。嫌がらせですかね・・・。
 
しかし・・・私はそれでも国営放送は民営化しないほうがいいと思っています。
 
マリオブラザーズで、1upキノコ取りつつ落下するような、かわいげがある部下のボケは笑い話で済みますが(逆に褒める場合もある)、
スカタンも今回のNHKのように許せる範囲を越えたら悪意となります。ただ事実を伝えるだけでよかったのです。さよなら、NHK。
 
仕事をやり報酬を求めよ。ただしこの順序は守ること。
                ケーリー・グラント
 
子供でも理解できるように言おう。
「大便をしてから尻を拭け」 ―Cloud
その反対はないのです。
それが物事の順序であります。(ちょっと違うか?)



サイレンススズカ
生涯成績 16戦9勝(うちGⅠ―1勝)

戦績だけを見てみよう。一流馬には違いない。
しかし、GⅠが1勝となると歴代の名馬の中では見劣りしてしまう1頭であろう。しかし、競馬ファンの記憶に残る馬の1頭であるのは間違いない。好きな馬の1頭である。スタートからゴールまで先頭で勝つという勝ち方が一番美しいとミホノブルボンの調教師はいう。
サイレンススズカは前半からハイペース、4コーナー辺りで少し息を入れ、再び加速してハイペースというもので、スローに落として姑息に逃げ切るような類いではない。素質だけでなく実際のレースで勝ち出したのは4歳から5歳にかけてである。(現表記3~4歳)
 
そして迎えた毎日王冠。
無敗でNHKマイルカップを制した4歳馬(現表記で3歳)エルコンドルパサーと、同じく無敗で朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)に勝ったグラスワンダーという2頭の超大物外国産馬が出走するとあって話題を呼んだ。この2頭ももちろん名馬である。3強対決と銘打たれ、まるでGI並みの注目を集めていたのである。1000mの通過ラップは57秒7。並みの逃げ馬なら潰れてしまうところだ。11か月ぶりの休み明けがたたってか、グラスワンダーはついていけない。一方、エルコンドルパサーが追い込んできたものの、すでに勝負の行方は決したあとだった。結局、サイレンススズカは影をも踏ませない完璧な内容で逃げ切ってしまったのである。エルコンドルパサーに騎乗していた蛯名正義は「影さえも踏めなかった」とコメントしている。武豊がレース後に出したコメント。「1000mを56秒台で通過しても平気な馬ですから、今日は比較的ゆったり行けましたね。直線で確認のために一応後続を見ましたが、全然かわされる気はしませんでした」
 
 
次レース。1998年11月1日東京競馬場。天皇賞(秋)。
天皇賞・秋といえば通常10月に行われる。
 
因縁めいたものを感じる。
 
11月 1日 11R 1枠 1番 1番人気
 
「今回もオーバーペースで逃げるつもりです」
前半の1000mはなんと57秒4。 2番手を進むサイレントハンターに10馬身も差をつけていた。この日の逃げは、いつものように、というには少し違っていた。2番手のサイレントハンターも本来は逃げ馬で、しかもサイレンススズカとはもともとスピードが違いすぎることもあって、サイレンススズカのかなり後ろで折り合いがついている。そして、サイレントハンターの位置自体が、馬群からしてみれば「大逃げ」と言っていい場所にいた。ところが、サイレンススズカはそのサイレントハンターをはるかに置き去りにして、前へ前へと進んでいく。サイレントハンターとの差ですら、5馬身、10馬身…。数えるのがばかばかしくなってしまうようなレベルに広がっていく。ましてや、そこからさらに離された後続の馬群とは何馬身差だったのだろうか。「この馬に乗っていると、楽しいんですよ。ほかの馬は、ついてこられないんですから」 サイレンススズカのスピードをこう評した武騎手だが、この日も手綱は持ったままである。1000m通過地点のラップは57秒4で、200m短かった毎日王冠よりもさらに速い、狂気のラップだった。 しかし、普通の馬なら「狂気」であっても、サイレンススズカにとっては狂気でも何でもない。そんな光景は、それまでにも何度も繰り返されていた。一介の逃げ馬であれば「自爆覚悟の玉砕戦法」といわれてしまうだろう。しかし、サイレンススズカは自分のリズムで悠然と走っていたのである。レースを凝視していたほとんどのファンが、栗毛の快速馬の勝利を確信していたことだろう。ところが、3コーナー東京競馬場の名物大ケヤキを過ぎたあたりで予想だにしないアクシデントが起きた。
疾走していたサイレンススズカのスピードが急激に落ちてしまったのだ。そこで14万観衆が見たのは、信じられない光景だった。
サイレントハンターが、サイレンススズカを交わしていくではないか。
サイレンススズカが交わされる。ここ1年間、まったく見ることのなかった光景だった。信じられなかったのは、ファンだけではない。サイレントハンター鞍上の吉田騎手も、レース中で、しかも先頭に立とうという瞬間であるにもかかわらず、その視線はサイレンススズカに釘付けになっていた。後続の馬の騎手たちも同様である。まるで、凍りついたかのようにすべての視線がサイレンススズカに集中した。観客席からは悲鳴とも絶叫ともつかぬ声が上がる。逃げてバテたのではない。故障を発生し、競走を中止してしまったのである。サイレンススズカは、もう走ってはいなかった。サイレントハンターに、そして他の出走馬たちが彼に迫り、そして交わしていこうとするその時、彼は懸命にゴールではなく、コースの外側、他の馬が来ない安全なところへとコースアウトしようとしていた。こなごなに砕け散った脚を引きずりながら。 東京競馬場は、悲鳴の後、沈黙に包まれた。凍りついた空間の中で、激しい攻防を繰り広げる直線だけが生きていた。
だが、この日東京競馬場を訪れた14万人のうち、果たして何人が古馬最高のレースが決着した瞬間を目の当たりにしただろうか。サイレンススズカの脚が砕けた瞬間、武豊騎手は夢の終わりを悟ったという。「何とか種牡馬として生き残ってほしい」 彼の騎手としての本能は、それがかなわぬことを感じ取っていた。だが、それをあえて無視したのは、彼の人間の部分だった。騎手は、レース中の予想もしない緊急事態にあっても、冷徹に判断を下さなければならない。このとき武騎手がなすべきことはただ一つ、後ろから来る馬との激突による事故を避けるため、サイレンススズカを安全なコースの外側へと持ち出すことだった。 しかし、サイレンススズカの脚はこなごなに砕け散っている。そんな馬を安全にコースアウトさせることは、多大な困難を伴う。この時サイレンススズカは立っていることすら不思議な状態だったのに、その馬をさらにコースの外側まで歩かせなければならないのである。このときのサイレンススズカについて、武豊騎手は「僕が怪我をしないように、痛いのを我慢して必死に体を支えていたんだろう」と信じているという。武豊騎手は、騎手としての使命を全うした。だが、獣医の診断は彼の願いを打ち砕くものだった。 「左手根骨粉砕骨折、予後不良」 そして、サイレンススズカはその日のうちに、ゴール板ではなく冥界の門を駆け抜けていった。 レース直後に事故の原因を聞かれた武豊騎手は、怒鳴るようにこう言った。「原因はわからないのではなく、ない」
症状はかなり重かった。左手根骨粉砕骨折。回復の見込みのない致命的故障のため、安楽死処分を取らざるをえなかったという。
レース中に非業の死を遂げたこともあり、サイレンススズカの人気はいまだに根強い。よく、「逃げ馬は華麗だ」といわれる。確かにサイレンススズカの逃げは華麗と呼べるかもしれない。だが、それ以上に人の心を魅了したのは、かつて武豊が言っていたように「オーバーペースで逃げる」危うさにほかならない。「もしかして潰れてしまうのではないか」といった、一歩間違えれば大惨敗につながってしまうような極限のところで走る姿だったのではないか?稲原美彦の言葉がすべてを物語っている。
そして、その日の夜、某所で泣きながらワインを大量にあおる武豊騎手の姿が目撃された。また、主のいなくなったサイレンススズカの馬房では、寝藁の上に崩れ落ちたままぼろぼろと涙を流す橋田師(調教師)
の姿があった。
 
後日談:サイレンススズカのいないジャパンC(国際Gl)を完全な横綱相撲で制したのは、毎日王冠でサイレンススズカの2着に敗れたエルコンドルパサーだった。4歳馬によるJC制覇は、あのシンボリルドルフでさえもなし遂げることのできなかった史上初の偉業である。ジャパンCの翌日、競馬実況で有名な杉本清アナウンサーは、京都駅でたまたまエルコンドルパサーに騎乗した蛯名正義騎手に会った。そこで、杉本氏はジャパンC制覇を祝福する言葉をかけたのだが、蛯名騎手から帰ってきた反応は杉本氏の予想もしないものだった。 「でも、本当に一番強いのはウチの馬じゃないんです」どう答えていいか分からず戸惑う杉本氏に対し、蛯名騎手はこう続けた。「ウチの馬も、サイレンススズカの影さえ踏ませてもらえなかったんですよね。どこまで強い馬だったのか。本当に残念なことをしました」騎手というものは、ただでさえ自分の馬を強いと信じたがるもので、いわんやこの場合、蛯名騎手の馬とは史上初めて4歳にしてジャパンCを制するという偉業を達成したばかりのエルコンドルパサーである。エルコンドルパサーがサイレンススズカに敗れたのは一度だけ、それもサイレンススズカの最も得意とする距離に乗り込んでの敗北に過ぎない。それにもかかわらず、「もう一度戦えば、勝てる」 蛯名騎手にそう思わせもしない、サイレンススズカが毎日王冠で見せた「永遠の差」。それは、果たして強さの差だったのか、それとも何か別のものの差だったのか。その次の年、エルコンドルパサーは日本から欧州への大遠征を敢然と決行した。そこで残した成果は、サンクルー大賞典(仏Gl)、フォワ賞(仏Gll)優勝、そして世界の最高峰・凱旋門賞(仏Gl)で欧州最強馬モンジューと死闘の末の2着という偉大なものだった。しかし、エルコンドルパサー陣営が、賞金の高い日本国内のレースに見向きもせずに欧州へと旅立ったのは、なぜだったのか。欧州遠征を発表する際に理由を問われた二ノ宮師はこう語った。「もはや国内の馬との勝負付けは済んだ」そのエルコンドルパサーが影すら踏むことができなかったサイレンススズカ。もしサイレンススズカが生きていたら、エルコンドルパサーには国内に1頭、倒すべき敵が残っていたことになる。競馬に「たら」「れば」がないことを承知で想像してみると、競馬界には今とはまったく別の歴史が形成されていたかもしれない。
“スズカが好きだったから“ということでウチで働くことになった従業員もいます。”あんな悲しみは二度と味わいたくない“といって、獣医になることを決断した方もいました。そしてなにより、毎年欠かさず墓参りに来てくれるファンがどれだけいることか……」
 
 
天馬、空を行く。やっぱり私の好きな馬の一頭です。
 
(参考資料「Yahoo!競馬 最強ヒストリー」「サラブレッド列伝」)
慰安婦決議案 米上院議員が反対書簡

【ワシントン=有元隆志】米民主党の日系米国人、ダニエル・イノウエ
上院議員(ハワイ州選出)が下院に提出された慰安婦問題をめぐる
対日非難決議案について「不必要なだけではなく、日本との関係に
悪影響を及ぼす」として採択しないよう求める書簡をトム・ラントス下
院外交委員長(民主党)らに送っていたことが30日、明らかになった。
上院議員が下院の決議案に異論を唱えるのは異例。決議案は同じ
く日系米国人のマイク・ホンダ議員(民主党)によって提案されている
が、民主党の大ベテラン議員でもあるイノウエ議員の反対表明は、決
議案の行方にも影響を与えそうだ。
 書簡は3月5日付で、ラントス委員長をはじめ、この問題に関係する
議員に送られた。
 書簡の中で、イノウエ議員は「決議案によって取り上げられた事柄
は日本政府にとってつらく微妙な問題だ」と指摘した上で、植民地支
配や侵略でアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたことに「痛切な
反省」を表した「村山談話」(1995年)、国会での「戦後50年決議」
(95年)や「戦後60年決議」(2005年)を通じ、日本は反省の念を
十分に表しているとの認識を示した。
 慰安婦問題についても、財団法人「女性のためのアジア平和国民
基金(アジア女性基金)」を通じて「金銭的な償い」をしたと記している。
 日米関係について「サンフランシスコ平和条約以来、日本は米国に
とって強固な同盟国であり貿易相手となっている」とした上で、イラク
自衛隊派遣など日本の対米協力を挙げ、決議案が日米関係に悪影
響を与えるとの懸念を示した。
 イノウエ議員はかつて日米貿易摩擦などで日本を非難することもあ
ったが、最近は日米の議員交流に力を入れている。それだけに日系
米国人のホンダ議員が決議案の旗振り役になっていることを「憂慮し
ていた」(日米関係筋)という。
 決議案は日本政府に対し、「若い女性たちを性的奴隷にしたことを
公式に認め、歴史的責任を受け入れるべきだ」として首相による公
式謝罪を求めている。
(2007/04/01 06:00)
 


ダニエル氏の書簡は大筋で称賛され、細かい部分の認識が間違っ
ていると批判はあろうかと思う。ダニエル・イノウエ氏及び彼が所属
していた第442連隊戦闘団(日系人部隊。活動期間と規模に比して
アメリカ陸軍史上でもっとも多くの勲章を受けた部隊)の詳細は以下
参照。
 

ダニエル・イノウエ
 
第442連隊戦闘団
 
 





雑感:
子供の頃、
あいつはアホだが、野球は上手い。運動神経はないが勉強は抜群
にできる。
喧嘩が強い。それだけで一目置いていたと思います。
喧嘩の強い者は、喧嘩が弱い者を馬鹿にしなかったのはなぜか。
例えば、喧嘩は弱いが、野球に関してはすごいやつだと思えば、
素直に認めていたからです。
自分にないものを持っている人間に対しては一目置いていたもの
です。
中途半端なやつが標的になっていました。
私はスネオタイプ?(強い者には弱気で、弱い者には強気になる)
の人間に対しては許せなかった経験があります。
小学校のとき、ある同級生と喧嘩になり、後日、2つ上の兄貴が出
てきました。兄貴に泣きつく。しかもその兄貴もいわれのない、鬱陶
しいことを言ってくる。脅してくる。一触即発が続きました。なるべく
相手はしませんでしたが、中学に上がった早々、挑発行為があった
ので、先輩諸氏に同意を取り付けた後、兄貴とは正々堂々タイマン
(古っ)をし、ボコりました。使い走りにしてあげました。もう何も言って
きません。
 
 
例えば・・・思想や意見が違う人はワンサカいます。
しかし、本物だと思った人間であれば認めます。
そういう人がいるから、自分の考えが足りない部分を埋めれるように
なるとも思います。
 
「桜木に対して流川」(※スラムダンク参照)
「ケンシロウに対してラオウ」(※北斗の拳参照)
(幼稚な表現ですが、割とすっきりすると思ったので)
 

え~、上の記事を読みつつ、えらいところまで話が飛びました・・・・・。
まとまりがないのは我流故でございます。
我流は無型でございます。
春の人事の季節です。私自身にも多少関係がありました。

「鶏口牛後」
ここ1年考え続けてきたことです。
上層部の一部とは言葉が通じない。
男がよくよく考えたことについては後悔はない。
一部の上司に義理を果たせば自分の思う道を歩もうと考えています。
 
言葉が通じないといえばこれ。
 
「この厄介な国、中国」
という著書もある東京外語大名誉教授 岡田英弘氏。
(報道ステーションで麻生外務大臣が薦めていたというレビューもあった)
(腹が立つ予感がするので読んでいない)
 
その岡田英弘氏が以前、月刊誌『WEDGE』に寄稿した
「日中親善の幻想を捨て対話より行動で接せよ」より以下引用
 
 中国では、よそ者と言えば、まず言葉がまったく違う。昔から中国では、いろいろな異国の人々が北からやってきたが、みんな耳慣れない言葉をさえずり、いきなり白刃を突きつけて、食事を取り上げ、女を奪って行った。そればかりではない。同じ中国人でも油断はならない。官吏はさらに悪質で、都から来ていつまでも居座って、なんだかんだと理屈をつけては、洗いざらい取り上げる。あとには塵っぱ一つ残らない。中国では、官吏といわず、異国人といわず、村にやってきたよそ者は泥棒と同じ、じゅうぶんな警戒に値する者だ、というのが決まりである。
 このことを知れば、中国人でも農民は素朴だろうという思いこみが、どんなに間違っているかがわかるだろう。この、よそ者は悪者だ、少なくとも内心どんな悪意を抱いているかわからない、という、長い歴史でつちかわれた文化は、中国人の夫婦関係にも及んでいる。中国の夫婦喧嘩の壮烈さは日本人にも有名だが、それというのも、女が異姓すなわちよそ者の代表だからなのである。中国では女は結婚した後も姓が変わらない。これは、女の地位が高いからではなく、中国では、女は一生の間、異なった集団の出先であり、ただ子どもを生むために夫と結婚しているだけだからなのである。現代の日本人のように、夫と一緒になりたい、と欲して結婚するのではない。それだから、中国人の夫婦関係は、日本人に比べれば薄情なものである。
 だいたい中国人というものには2種類あって、互いにまったく隔絶している。1種類目の中国人は「文字」を知っている人で、他の種類は「文字」を知らない人である。文字を知って、これを自由に使える中国人は、いまなら共産党の幹部や国営企業の経営者であり、人口の数%にすぎない。その他大勢の中国人は、せいぜい自分の名前を漢字で書けるくらいであって、文字を知っているとはいえない。
 中国における文字は漢字だけであるが、漢字は、もともと話す言葉が違う人々の間で通用するように設計されたもので、紀元前221年に中国を統一した初代の皇帝、秦の始皇帝のときに発音も統一された。当時からすでに、中国人が話す言葉と直接の関係はなかった。だから漢字はどの時代でも、実際に人々が話す言葉と関係なく使われてきた。中国の漢字は、日本の漢字やカタカナ、ひらがなのように、だれにでも使える文字ではない。ここのところも日本人にはわかっていない。
 そればかりではない。中国語には、「本音」に当たる言葉がない。「本音」がないのだから、「建前」という言葉もあるはずがない。これは日本人には絶対理解されないだろうが、中国人が口にする言葉、文字に書く言葉はすべて「建前」であって、「本音」は存在しない。中国では、人間の本心や内面は決して言葉にはならないし、言葉にはしないのである。人間が何を考えているかは、当人だけにしかわからない。言葉は、言葉だけの筋道か通ればいいと考えている。  
 だから、建前だけの言葉をつらねた歴史の文章は、いかに美しくても、いかに本当らしくても、実は本当のことは書いていない。これで「日本人は歴史の教訓に学ばなければならない」という決まり文句の意味がわかってくる。つまり、当の中国人自身が、書かれた「歴史」には本当のことはないと信じているからである。
(引用終わり)
 
 
 
国際社会を語るとき、歴史を知るということは非常に大事だと思いますが、風土や文化が違うと感覚的に理解できないことが生じてきます。理解しあえない部分が必ず発生してしまいます。善悪の判断すら共通でなくなる場合もありますから、対処としては難しいものがあると思います。そこで、国益を考えた際に、ではどのようにしたらいいのかということが問題になってきます。私は問題の本質を見極め、その戦略は単純であればあるほど良い。換言すれば、戦の華が一騎駆けならば、戦略の華はわかりやすさ、単純さです。つまり、「後世の日本や日本人に対しても責任を持つ」です。もちろん指導者だけでなく国民もそうです。それが国益の根幹だと思うのです。


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HN:
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男性
職業:
(今のところ)直接金融業
自己紹介:
我が拳は我流  我流は無型
無型ゆえに誰にも読めぬ
我が拳は邪拳ゆえ種明かしは一回きりよ
私の心持ちの一部です。

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