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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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今日、ブログの女王さんこときっこさんがナナナナント、ガセネタを出したという話があった今日この頃・・・・・・(←読んでいただいている方、すみません、面白くもなんともないですね。)
 
で、ガセということについてはどうでもいい・・・。
 
内容は有名芸能人が硫化水素でどうこうというものらしいですが(以下、URL参照)、もちろん日記やブログの当該記事は削除されているようです。
 
 
脳内では亡くなっていたにも関わらず(ガセでしたが)、「私の嫌いな」某タレントという書き方だったようで、その「冠」にも呆れますが、百歩譲ってそういった内容については横においておくとしても、
 
 

「続報を期待する人は応援のクリックをお願いします。」
 

「クリックが少なければ続編はスルーします。」
 
 


と、自身が参加する人気ブログランキングへのクリックを促しています。この神経が素晴らしいと思います。で、その続報なんかもあったようですが、どうでもいいので割愛します。
 

(以下、参照URL)
ネットゲリラ」さん(きっこの日記のガセネタ騒動)
 
無題ブログ」さん
 
 
・・・・・・
 
 
 
ハァ(ため息)・・・・・・
 
 


月曜の朝からどっと疲れました。
 
 

・・・・・・・・・・
 
 

皆様、この際、私の道連れということで、ついでと言っては申し訳ないですが、こちらも書いておきます。
 
 
四川大地震の被害の規模(杉浦 ひとみの瞳)5/25
 
(引用始め)
 
四川大地震の被害は、日々その拡大が伝えられ、死者約6万人、行方不明者約2万人、被災者約4500万人とのこと。
現地がどんな状態になっているのか想像を絶します。
この数を聞くとき、知らず知らずのうちに、今、裁判を国に対して行っている63年前の東京大空襲の被害と比べてみています。
1945年3月10日の東京大空襲では、2時間余で10万人が焼き殺され、100万人が被災したたという被害状況です。
この一瞬ともいうような時間に10万人の死亡というのがどれほどの数かということを、今回不謹慎ながら「まだそれより少ない・・・」と思いながら、比較しています。
そして、被災者が5000万人弱というと、日本の人口の40%近くの人が被災していることになるわけで、その規模の大きさに圧倒されます。
でも、自然災害(もちろん種類にもよりますが)は、人が意図的に人を殺す時ほど大勢の人を死なせたりはしないのだな、と思いました。
 
(引用終わり)
 
 

社民党も憲法も日本の民主主義政治を支える貴重なセーフティネットとおっしゃる、前回の参院選に出馬された弁護士さんということで・・・、言いたいだろうプロパガンダのようなことは分かるのですが・・・、
 


文章のつながりというか、最後は強引なことになってるし、
書いていること自体が、いまいちよく分からんのです。読めば読むほどこの文章の意味が分からん・・・。私の読解力に問題があると思いますが、その他の部分の文章もコメントも日本語自体がおかしかったりしませんか。頭が混乱してきたので誰か教えてください(苦笑)
 
 

というか他の日記のコメント欄の方が興味深かったり阿呆らしかったりするので、参戦しようかなと(苦笑)
 
 
 
 
他の日記のコメント欄:一部抜粋
「亡くなった父は職業軍人でしたが、靖国には一度も参拝しないし、軍人が中国で行った事を恥じておりました。」
「支那戦線に出征して、戦後靖国に参拝した軍人は、貴殿のご尊父の何千倍もいたはずです。」
「上官は日本刀の試し切りに中国の方達を切るように命じたそうです。現実に見て、反省してるから靖国にも行かないし、引き金を引く行為を恥じたから息子の私に話してくれたのはないですか。恥ずかしいのは貴方です!」
 


ほう。

憲法問題でも右、左が参加しているようで、今度、暇があったらゆっくり見に行きます。歴史問題については、本人はあまり知らないような印象です。
 
 
 
 
というわけで、今日の晩御飯はオムライスがいいのかな。
 
 
それでは、今日のどきどき日記はこの辺で。
 
 
すみませんね、こんなんで m(__)m
 
 
アンニョンヒケシプシオ。
 
 
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平成20年6月7日(土)のことです。


「日本が真の独立を勝ち取るまで!」
近江謄写堂さんがスタッフとして(今回、大津の奥座敷・雄琴温泉は横に置きつつ)大津入りされます。おそらく、会場で、「辻元清美っ!」と呼ぶと、真っ先に振り返る人がその方です。男前です。
 
 
大津といえば、あの紫式部が源氏物語を書き始めた地です。和泉式部(この映画に歌が出てくる)のことをけしからんといった人ですが、ま、女心はよくわかりません(苦笑)で、烏丸せつこさんも大津出身。今回は来場し、舞台挨拶されるようです。「綺麗やったわ!!」と自慢するであろうスタッフの声が聞こえてくるようです(笑)
 
 
 
映画「南京の真実」 上映会のお知らせと、ボランティアのお願いについて
(引用始め)
 
皆様、
来る6月7日(土)に、滋賀県大津市で、「南京の真実」上映会が実施されます。地元での開催ということもありまして、準備や運営に小生も加わります。
滋賀県の実行委員会もあるのですが、なかなか年齢層が高く、率直なところ当日の人手不足が懸念されます。

事前のPR活動も手伝っていただければ嬉しいのですが、特に当日のヘルプをお願いしたいところであります。 当日、お手伝いいただける方のお申し出を心からお待ちしております。

近江謄写堂
 
 
【滋賀県大津市】
平成20年6月7日(土)
 
14時00分:開場
 
15時00分:舞台挨拶
 
15時30分:開映
 
監督・水島総及び出演者らによる挨拶を予定しております。
浜畑賢吉(松井石根役)
烏丸せつこ(広田静子役)大津市出身
井上和彦(チャンネル桜キャスター・軍事ジャーナリスト)大津市出身
場所:
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホール(800名収容)
滋賀県大津市打出浜15-1
 
<交通案内>
(引用終わり)
 
 
勝手ながら、一部、太字にしたり色をつけました。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
大きいキャパですね。で、もちろん「無料」です。
 
 
どんな映画かって?感想を聞けば早いと思います。見ればもっと早いです。
 
 
昨日は石川県の金沢について触れましたが、先日(5/18)、金沢でも映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」の上映会がありました。
 
「正しい日本の歴史を考える」さんがその上映会の感想を詳しく書かれています。
 
 
 
私自身、映画の感想を読むのは好きです。多くの感想が一言で書かれている名古屋での上映会もありました。感想をもらうというのは良いですね。
 
 
映画『南京の真実』第一部名古屋上映(平成20年5月3日)でスタッフとして奔走された
『日本李登輝友の会・愛知県支部』さんのサイト内から引用させて頂きます。
 
(引用始め)
 
御来場いただいた方々の声
アンケートに回答いただきました一部を紹介させていただきます。
 
 
○深い感銘を受けました。よくぞこの様な映画を制作してくれました。中国の許しがたい欺瞞を第2部・第3部で明確に暴いてもらえる事を期待します。(73歳男性)
 
 
○重みのある映画でした。次の世代に負の財産を残さぬ為にも出来るだけ多くの人にこのことを知ってもらいたいものですね。(57歳女性)
 
 
○非常にインパクトがありました。更なる反撃映画を皆で創り上げるようカンパします。(59歳ご夫婦)
 
 
○最後まで見るのがちょっと根性が要るが、見て良かったと思う映画でした。世界の人にも見てもらえたらと思う。(無記名)
 
 
○日本人みんなに見て欲しい。日本人の心がわかる映画です。見せていただきありがとう。(56歳男性)
 
 
○1回目に見たときも強い衝撃を受けましたが、やはり二回目でもゾクッとするものがありました。今後の活動の検討を祈ります!(19歳女性)
 
 
○映画「明日への遺言」と比較しながら拝見しました。同時代を生きた者として感慨深いものがあります。よくぞ作ってくれました。続編を期待します。(73歳男性)
 
 
○涙なしに観ることが出来ませんでした。祖国と先人の名誉回復に大いなる力となり光明となると期待しています(60歳男性)
 
 
○いい映画でした。能に関してはわかる人はわかると思います。2部3部は外国人によくわかる形でどうでしょうか?(41歳男性)
 
 
○七士の最後の心境を見習いたい。最後まで日本国を思っていた。七士の碑が愛知県幡豆郡三ヶ根山頂にあり、年に数回東條大将のお孫様が参拝の折、列席しています。(85歳男性)
 
 
○誇張することもなく、淡々と撮られていて良いと思う。(76歳男性)
 
 
○ないことをあったこととして表現するのは簡単。しかし、ないことをないと表現する難しさを感じた。くじけず頑張れ!(53歳男性)
 
 
○南京の映像がすごく印象的でした。特に安心して生活している支那人の人々の姿が忘れられません。この映画、もっと多くの人々に観て頂きたい。七士の指導者たちがどのような思いだったのか、私たち日本国民に対してこう考えていたという事実を重く受け止めたい。彼らの心を忘れぬことこそ、私たちの使命だと思いました。(22歳女性)
 
 
○日本人の持っている美意識(死生観)を世界の多くの方々に知って頂きたい。鐘の音がとても心に響きました。(60歳女性)
 
 
○大変よかったと思います。最後の南京戦の体験者のインタビューは非常に説得力がありました。(男性)
 
 
○水島監督は芸術の衣をまとった第一級歴史資料を作り上げた。この会場に集まった「日本人」の皆様にも感動しました。(60歳男性)
 
 
○知らないことが多く、日本を愛する気持ちが伝わりました。(34歳男性)
 
 
○東宝に貴重なテープがあることを初めて知りました。(55歳女性)
 
 
○どんなことがあっても、真実を訴え続けるべきだと強く思いました。(52歳女性)
 
 
○最後のインタビューが南京の真実を知る現場の声だと思いました。芸術性が高く理解できない部分もありました(44歳男性)
 
 
*多くのご回答をいただき、有難うございました。誌面の関係上、全てが紹介できないことにお詫び申し上げます。
この度は、映画の時間や表現方法に対する注文等ございましたが、趣旨に関しては、一件として否定的な内容はございませんでした。
いただいたアンケートを助言として受け止め、スタッフ一同これからも活動していく所存ですのでこれからもご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
 
 
(引用終わり)
 
 
・・・・・・・・・・
 
こちらにも感想等の掲示板があります。
 
南京の真実 情報交換掲示板
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
若い方に、私が予備知識として持っておいたほうが良いと思うのが1点。
 
「能」は、死者の世界からものを見るという所があります。生者と亡者の交流というか、亡くなった人の語りという部分もあります。 

魂が成仏できていないという捕らえ方もありますし、英霊のように見守ってくれているというような捕らえ方もできると思います。

基本的に、主役は死者で、それを聞き出す生きている人が脇役という構造です。

あまり多く書くと、内容に突っ込んだネタバレ的要素が多くなるのでやめます。(実際のところ、全部見ていないので多くを言えないというのが本音。)
 
 

お手伝いいただける方のお申出があればいいなぁ、と。
 
そして、是非、お近くの方は足を運んでくださいませ。
 
 
本日は小京都の話題。
 
 
という訳で、金沢です。
 
 
「ふるさとは遠きにありて思ふものと・・・」という・・・、川端康成に「言語表現の妖魔」といわしめた室生犀星は有名ですが、彼も金沢の人です。
 
 
もともと金沢は、芋掘り藤五郎の伝説とともに「金洗いの沢(昔、山芋を掘って生計を立てていた働き者の芋掘り藤五郎という人がいました。この泉で山芋を洗ったところ、山芋の土が金に変わり砂金が採れたという伝説があります。その泉が金洗いの沢。)
と親しまれており、前田利家がその名にちなみ、町の名前を「金沢」と改めました。その後、金洗いの沢は金城霊沢(きんじょうれいたく)と改められ、今も兼六園にあります。
 
 
 
 
 
 
今は5月ということで、
 
 
早速ですが国語の時間です。
(6年生の教科書にも載っている詩です。)
 
 
 
 
 
『五月』         室生犀星
 
悲しめるもののために
 
みどりかがやく
 
くるしみ生きんとするもののために
 
ああ みどりは輝く
 
 
 
 
 
で、個人的に気になったので「問題」(6年生レベル)を出します(笑) 
 

ちょっとだけ立ち止まっていただきたく思います。
 
 
「悲しめるもの」「くるしみ生きんとするもの」
「かがやく(二行目)」「輝く(四行目)」
とあります。
 
なぜ、最初に「悲」と漢字を使っており「くるしみ」は平仮名なのか?
「かがやく」「輝く」についても同様になぜ漢字と平仮名を使い分けているのか?
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
「これ6年生? 考えさせるやん。」 というのが最初の感想でしたけど・・・。
 
 
何気なく読み飛ばすと気づきませんよね。私なりの解釈は恥ずかしいのでここでは書きませんが(苦笑)、良い詩だと思いました。
 
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
 
それでは、以下も同様に金沢つながりで、6年生の教科書にも載ったという話です。
 
 
書かれたのは、山元加津子さんという養護施設の先生をしている方です。
体験談等を歌にしたり、本にしたり、講演したり等、色んな活動をされているようです。
 
 
 
この「きいちゃんの浴衣」は小さい時に出した高熱がもとで手や足が動かなくなってしまったきいちゃんとお姉さんとのお話です。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
きいちゃんの浴衣
 
 
きいちゃんは、教室の中でいつもさびしそうでした。たいていのとき、うつむいてひとりぼっちですわっていました。
 
だから、きいちゃんが職員室のわたしのところへ、「せんせー」って大きな声で飛び込んできてくれたときは、本当にびっくりしました。こんなうれしそうなきいちゃんを、わたしは初めて見ました。
 
「どうしたの?」
 
そうたずねると、きいちゃんは、
 
「おねえさんが結婚するの。わたし、結婚式に出るのよ」
 
って、にこにこしながら教えてくれました。
 
「わたし、なに着ていこうかな?」
 
と、とびきりの笑顔で話すきいちゃんに、わたしもとてもうれしくなりました。
 
それから一週間くらいたったころ、教室で机に顔を押しつけるようにして、ひとりで泣いているきいちゃんを見つけました。
 
涙でぬれた顔をあげて、
 
「おかあさんがわたしに、結婚式に出ないでほしいっていうの。おかあさんは、わたしのことがはずかしいのよ。おねえさんのことばかり考えているの。わたしなんて生まれてこなければよかったのに・・・」
 
やっとのことでそういうと、また、はげしく泣きました。
 
 
 
でも、きいちゃんのおかあさんは、いつもきいちゃんのことばかり考えているような人でした。
 
きいちゃんは、小さいときに高熱が出て、それがもとで手や足が思うように動かなくなってしまいました。そして、高校生になった今も、訓練をうけるためにお家を遠くはなれて、この学校へきていたのです。
 
おかあさんは面会日のたびに、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつも乗りつぎ、四時間もかけてきいちゃんに会いにこられていたのです。
 
 
 
お仕事がどんなに大変でも、きいちゃんに会いにこられるのを一度もお休みしたことはないくらいでした。そしてきいちゃんの喜ぶことはなんでもしたいのだ、と話しておられました。
 
だから、おかあさんは、きいちゃんがいうように、けっしておねえさんのことばかり考えていたわけではないのです。ただ、もしかしたら、おかあさんは、きいちゃんが結婚式に出ることで、お姉さんに肩身のせまい思いをさせるのではないか、手や足が思うように動かない子どもが生まれるのでは、とまわりの人に誤解されるのではないか、と心配なさっていたのかもしれません。
 
「生まれてこなければよかったのに」
 
と、きいちゃんにいわれたおかあさんも、どんなに悲しい思いをしておられるだろう、とわたしは心配でした。
 
 
 
けれど、わたしは、何をすることもできませんでした。ただ、きいちゃんに、
 
「結婚式のお祝いのプレゼントをつくろうよ」
 
といいました。
 
 
 
金沢の山の方に、和紙を作っている二俣というところがあります。そこで、わたしは、布の染め方をならってきました。まっ白な布を買ってきて、きいちゃんといっしょに夕日の色に染めました。その布で、ゆかたをぬってプレゼントすることにしたのです。
 
 
 
わたしは、びっくりしたのだけれど、きいちゃんは、ぬうのがどんどんどんどん上手になっていきました。
 
学校の休み時間も、宿舎の学園へ帰ってからも、きいちゃんはずっとゆかたをぬっていました。体をこわしてしまうのではないか、と思うくらい一所懸命ぬいつづけました。
 
 
 
本当をいうとわたしは、きいちゃんがゆかたをぬうのはむずかしいかもしれないと思っていました。きいちゃんは、手や足をなかなか思ったところへもっていけないので、ごはんを食べたり、字を書いたりするときも、だれかほかの人といっしょにすることが多かったのです。でも、ミシンもあるし、いっしょに針を持てばなんとかなる、とわたしは考えていました。
 
でも、きいちゃんは、
 
「ぜったいひとりでぬう」
 
といいはりました。まちがって針で指をさして、練習用の布が血でまっ赤になっても、
 
「おねえちゃんの結婚のプレゼントなんだもの」
 
って、ひとりでぬうのをやめようとはしませんでした。
 
結婚式の十日前に、ゆかたはできあがりました。
 
 
 
宅配便で、おねえさんのところへゆかたを送ってから二日ほどたったころでした。きいちゃんのおねえさんから、わたしのところへ電話がかかってきました。
 
おねえさんは、きいちゃんだけでなくて、わたしにまで結婚式に出てほしいというのです。わたしは、きいちゃんのおかあさんの気持ちを考えると、どうしたらいいのかわからず、おかあさんに電話をしました。
 
おかあさんは、
 
「あの子が、どうしてもそうしたいというのです。出てあげてください」
 
とおっしゃるのです。わたしは、きいちゃんと結婚式に出ることにしました。
 
 
 
花嫁姿のおねえさんは、とてもきれいでした。そして幸せそうでした。わたしもとても幸せな気持ちになりました。でも、気になることがありました。
 
式が進むにつれて、結婚式に出ておられた何人かの方がきいちゃんを見て、なにかひそひそ話しているのです。わたしは、
 
(きいちゃんは、どう思っているのかしら。やっぱり出ないほうがよかったのではないかしら)
 
と、そんなことを考えていたときでした。花嫁さんがお色直しをして扉から出てきました。
 
 
 
おねえさんは、きいちゃんがぬったあのゆかたをきて出てきたのです。ゆかたは、おねえさんにとてもよく似あっていました。きいちゃんもわたしもうれしくてたまらず、手をにぎりあって、きれいなおねえさんばかり見つめていました。
 
 
 
おねえさんは、おむこさんとマイクの前にたたれて、こんなふうに話し出されました。
 
「このゆかたは、わたしの妹がぬってくれました。妹は、小さいときに高い熱が出て、手足が不自由になりました。そのために家から離れて生活しなくてはなりませんでした。家で父や母と暮らしているわたしのことをうらんでいるのではないかと思ったこともありました。でも、妹はそんなことはけっしてなく、わたしのためにこんなりっぱなゆかたをぬってくれたのです。妹はわたしの誇りです」
 
そして、きいちゃんとわたしを呼んで、わたしたちを紹介してくれました。
 
「これがわたしの大事な妹です」
 
式場中が、おおきな拍手でいっぱいになりました。
 
なんてすばらしい姉妹でしょう。わたしは、涙があふれてきて、どうしてもとめることができませんでした。
 
きいちゃんは、きいちゃんとして生まれ、きいちゃんとして生きてきました。そしてこれからも、きいちゃんとして生きていくのです。もし、名前をかくしたり、かくれたりしなければならなかったら、きいちゃんの生活はどんなにさびしいものになったでしょうか。
 
きいちゃんは、おかあさんに、「生んでくれてありがとう」と、お話ししたそうです。
 
きいちゃんは、とても明るい女の子になりました。これが、本当のきいちゃんの姿だったのだと思います。あのあと、きいちゃんは和裁を習いたいといいました。そして、それを一生のお仕事に選びました。
 
 
・・・・・・・・・・
 

立派やなぁと思います。
 

足るを知る。
 

自分自身に置き換えるとそんなふうにも思います。
 

この話の中には、「きいちゃんの喜ぶことはなんでもしたい。」と言って面会日には朝の暗いうちから4時間かけて必ず会いに来たおかあさん。また、「結婚式には出ないで欲しい」と言ったおかあさん。その気持ちについて多くは語られていませんが、どうなんでしょうか?「子ども病院」のことを思い出しました。(先週になりますが、丁度この本を私の娘も読んでいました。)
 
 
以前の拙ブログからその一節を引用します。
 
親の思い
 
五体満足で育っている子どもをもつと
子どものいない人をうらやむことがある
 
切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと
元気で普通の子どもをうらやましく思う
 
一生ハンディの残る子どもをもつと
一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う
 
余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は
ハンディが残ってでも生きている子どもをもつ親をうらやましく思う
 
子どもができない親は
産める親をうらやましく思う
 
腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど
私は いつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい
 
 
中国の掲示板の一部を翻訳をされた方がいらっしゃいました。

【日本の救援隊の安全を願ってageるスレ】



結構コレは有名なのでしょうか?


ちょっと遅いような感じですが・・・
 
 
 
「大陸浪人のススメ ~迷宮旅社別館~」さんが中国の掲示板を翻訳されていましたので、以下に引用させていただきます。(フォントや色も引用先そのまんま
こんなとき中国語が分かればいいなぁと思いますね。
 

結構、大変な作業だと思いました。
 

(※長いので折りたたみます。)
 
 
つづきはこちら
asahi.comが、
 
「日本の援助隊、命救えず四川から帰国へ」
 ↓
 ↓   という、人を馬鹿にしたような、悪意がいっぱい詰まった見出しから
 ↓ 
「もっと早ければ」日本の援助隊、医療チームと交代へ
 
 
という見出しに変更したという話がありました。
 
これはすぐに変更されたようですが・・・・・・。
 
ググってみますと、
 
 
 
 
『日本の援助隊、命救えず四川から帰国へ』という見出しで、
内容「もっと早ければ」日本の援助隊、医療チームと交代へ同じ。
そんな形跡がある模様・・・・・・。
モラルもへったくれもない。書き換えた時点で、「どこまで日本の悪口を書いていいかを計りながら」を普段から認識しているという確信犯。
ホントやってることが情けないのを通り越していると・・・。
 
 
時間との闘いでもある救助隊が最前線に入れなかった、生存確率の高い場所でなかった等、色々な思惑が書かれていますが、それは多くの方が書かれているので割愛しまして、その声に応えるかのように、報道ステーションでは「中国当局の好意」で危険な地域に入らずに済んだという物言いがされたようです・・・。

やってることがいつも同じですね。
 
 
 
つまり、朝日新聞は人災だということです。
 
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
で、身近な話題を。
(身近すぎて多くの人には関係ないかも・・・)
 
 
最近、1つ気になることかあります。
 
 
四川の地震があったからというわけではありませんが、ここ数週間、カラスが異常に多いのです。ウチの近くでもカァカァ鳴いています。群れの単位でおそらくどこかから移動してきたと思います。
 
「カラスの行動と地震について」の因果関係は不明ですが、過去にも関連付けされた例があります。という訳でカラスと地震についてだけですが少し調べてみました。
 
以下、参照URL
 
(地震前兆現象の不思議)
(大気イオン地震予測研究会)
大気イオンの観測でどうこうというのはよく分かりませんが・・・(苦笑)
 
 
・地震前の数日間は、夜中の2時3時に鳴いていた
・地震当日午前1時過ぎ、ギャアギャアガアガアと鳴き騒いでいた 
・地震当日、ギェーッというすごい鳴き声で目が覚めた
(・地震直後の数分間、集団の中の数羽が鳴きわめいていた)
 
 
神戸市立王子動物園園長であった権藤眞禎氏は、「前兆証言1519!」の動物の異常事例を、動物種ごとに発生日時と発生場所に関して整理・分析されているが、カラスについて、「神戸市須磨区の横尾山(JR須磨駅の数キロ北)などのねぐらから姿を消し、逆に三田市方面で大群が出現したことから、震源地周辺のカラスが遠方へ退避したのではないか」とお話されていた。
 
(中略)
 
三田市の状況が異動先の状況だとすれば、神戸市須磨区の主婦の方による次の報告は異動元の状況ということになる。権藤氏の“退避仮説”を裏付けるものではないだろうか。
 
 
<5.鳥類 No.226より抜粋要約>
私の住まいは、東に栂尾山(横尾山のすぐ南)、西に垂水をのぞむ所にあります。毎日夕方になると、おびただしいカラスの群れが西から東へ団地の上を横切り、東側にある栂尾山の西側斜面に消えて行くのです。
ところが前年の秋頃から団地の南側の谷筋に寝ぐらが移り、落葉した大木が真っ黒になるほどに群がるようになりました。そのうちにカラスの群れが、谷間を今日は西、明日は東というふうにあちこち所を変えて集まるようになり、地震前日にはカラスの姿は1羽も見られなくなりました。
 
震源地の淡路島北部、カラスが消えた神戸市須磨区、およびカラスの大群が出現した三田市を結ぶと直線状になるが、もし仮に、三田市のカラスが須磨区のカラスであったとすると、(結果的には)震源地から遠ざかるように一直線に移動したことになる。もしそうだとした場合、非常に興味深いことだが、カラスたちは“退避する方角”を心得ていたことになる!?
 
 
私の住む町に、どこから飛んで来たのか?
 
 
カラスの異常行動は地震に無関係だとする根拠は現時点では何もないから、カラスの異常行動から大地震が近いと考えて備えをしておくことは決して無駄なことではない。とりわけ、
 
カラスの大群は異常な現象であると考えてよさそうに思われる。ところが、習性として大群になるケースもあって、安易に考えるわけにはいかないらしいのである。
 
 
どっちやねんと思うところですが(苦笑)
で、以下の“カラスの大群5ヶ条”を考えられたようです。
 
 
●ねぐらの近くで大集団を見たときは、夕方であれば多分習性だろうが注意観察
●大集団を見た時間帯が夕方以外(真夜中や昼間)であれば、その場所を問わず注意観察
●ねぐらから遠くカラスがほとんどいない場所に、大集団が出現したときは要注意!
●いつも多くのカラスを見かけるのに、急激に減ってきたら要注意! または要警戒!!
●ねぐらの近くでカラスをまったく見かけなくなったら厳重警戒!!!
 
 
大集団(何千、何万)という単位ではないですが(せいぜい何十羽?)、2番目、3番目が当てはまります。)
 
 
 
「地震のことわざ」と「前兆証言1519!」の内容を比較してみると、同じような内容が多いことに驚かされる。大地震を体験した先人たちの防災への思いが伝わってくる。カラスについては次の2件が記されている。
 
「カラスが早口で鳴く時は地震あり」
「地震のあとカラスの宿る森でカラス鳴かざる時は続いて地震あり」
 
 
 
大阪在住の私ですが、動物園といえば神戸の「王子動物園」(パンダもいます(苦笑))に行く私。気になった一人の人を紹介します。
 
権藤眞禎さん
神戸市立「王子動物園」の元園長で、『動物博士』といわれた方です。
王子動物園や阪神市街での大震災直前の動物異常についても研究されたようです。
どんな人か・・・・・・詳しくはこちら
 
思想についてはどのような人かは知りませんが、阪神タイガースについても発言していますので、横道に少し逸れます。
 
 
「タイガースの前身は、昭和10年に設立された大阪タイガース。タイガースという愛称は、阪神工業地帯をデトロイトのような立派な工業地帯に発展させたいという願いから、大リーグのデトロイトタイガースにあやかってつけられました。トラのマークは昭和11年にできましたが、誰が何を基に描いたのか、詳しいことはわかってはいません。しかし私が思うには、チョウセントラしか考えられない。当時、日本の警察は、どんどん朝鮮のトラを退治しました。韓国に唯一残っているこの剥製も、実は京都の島津製作所が作ったものなのです。朝鮮のトラが日本に持ち込まれ、それを基に、阪神タイガースのトラが描かれたのは間違いないでしょう」
 
 
若干怪しい雰囲気を醸し出している部分もあるような気がしますが、とにかく「剥製を作ったのは島津製作所」なんですね。知らなんだ・・・(苦笑)
 
 
今回、分かったのはヤタガラスではないということですが・・・。
私の近くで地震が起こるのか、または逆に安全な地帯なのか、透明なゴミ袋が増えてカラス来たのか(そんなのはもっと以前からだろう・・・説得力のない嫁:談)、朝日、いや烏合の衆なのか、他の要因なのかは長々となったわりには結論が出ません。
 
 
危機管理の難しさという大袈裟なものではなく、何か気持ち悪かったので書きましたが、注意しないといけないかも知れませんね。
 
 
で、結局なんでだろう。(←答え出ず・・・)
 
 
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(今のところ)直接金融業
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我が拳は我流  我流は無型
無型ゆえに誰にも読めぬ
我が拳は邪拳ゆえ種明かしは一回きりよ
私の心持ちの一部です。

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