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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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私の好きなことの1つに「通勤や移動中時の読書」があります。
気に入った本が無いときには、以前読んだ本を引っ張り出してきて、
忘れた頃に再読しています。
しかし、そういうものの中には人前では読めないものがたくさんあります。うっかり涙してしまいそうになる本です。数年前に買い、ドラマにもなった(私は見ていない)ものを紹介します。結構有名ですが。
 
電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ
すずらんの会/編 角川書店 500円
内容(長野県立こども病院(長野県・豊科町)には、長期入院している子どもたちが学ぶための
院内学級があります。本書におさめられているのは、小さな身体で精一杯、病気と闘いながら
も、院内学級では仲間と楽しく学ぶ子どもたちの輝く言葉です。行間から、「命」と向き合わずに
はいられない日々の中で、子どもたちが息が詰まるほど激しく
闘う姿が伝わってきます。)
 
 
「電池が切れるまで」の仲間たち 子ども病院物語
宮本雅史/[] 角川学芸出版420円
内容(「幸せ」とつぶやいて亡くなった真美ちゃん、「命」の詩を書いた由貴奈ちゃん、白血病を
克服し医師を目指す盛田君
。長野県・豊科町に、赤いとんがり帽子の屋根の長野県立こど
も病院があります。難病のこどもが多く、家族と離れて病気と闘っています。でも、入院生活は
つらいだけではありません。退院したこどもたちは、「楽しかった」と口をそろえます。これは、
こどもたちと家族、医師、院内学級の先生たちが体験した、真実の「命」の物語です)
 
 
 
 
子供のガンといわれる難病と闘う子供たちの壮絶な生き方や、
子供たちの感じていることや家族の絆等、
いろいろなことが詩や絵になっていたり
書かれていたりします。
 
例えば、思想、哲学、啓発の世界で偉人といわれる
安岡正篤氏、中村天風氏、その流れをひく経営の神様こと
松下幸之助氏と同じ様に考え、同じように小さい子供たちは
感じているのです。
凄いことです。

小さい子供なので表現力が十分ではないところもあるかもしれません
が、充分言いたいことが感じ取れます。人生の師と皆から尊敬される方々と共通するものを間違いなく持っています。もちろん、彼、彼女
たちはそんな偉人のことなんて知らないでしょう。ギリギリのところで
闘っている子供たちは、そんじょそこらの大人たちが束になって
かかってもかなわない心を持っています。
時には落ち込み、時には喜び、目標を見つけていく。
周囲では仲の良い友達が亡くなっていく。
大人とか子供とか関係ありません。素晴らしい子供たちに教えても
らったのです。ちっぽけなことで悩んでいる場合ではない。そんな悩
みは有難い悩みだ。「悩みよ、ありがとう」と思う本です。

手術を繰り返す。子供は体力がないから、手術後に集中治療室に
入り、個室に移り、皆と同じ部屋に移る。
そして一緒に勉強したり、遊んだりできる様になる。
すると、また、手術が待っている。
子供の体力回復には数ヶ月を要する、
つまりその数ヶ月間は手術のための準備期間ということです。
そしてまた手術に向かう。そういった子供たちの姿。
これ以上詳しくは書きませんというより書けないです。
後は、人それぞれが感じるものだからです。まず読んでください。
私は時々読み返します。
必ず、すべてのものに感謝をしようと思うはずです。
春の始まりと同時に心を洗おう。
まずは、題名にも使われている一番有名な詩を紹介。
 
      命
命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう
 
宮越由貴奈


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株式等の相場って最終的には損をする?
 
一般投資家にとって相場は確率論です。上がるか、下がるか、
動かないか、の3つ。そして資金配分と心理的要素。
各論については機会があれば書こうと思いますが、
まずはかなり大雑把な話をさせて頂きたいと思います。
 
100億円規模の市場があるとします。
つまり、100億円の参加資金の奪い合いがスタートします。
 
勝ち負けが半々というのはまれです。
ほとんどの場合、勝ち1割、負け9割という具合に偏ります。
1割の勝った人が100億円を分配します。
投資金の数倍から数十倍になるでしょう。
つまり1割の人たちが負けた9割の人たちの資金を分け合うのです。
 
次に、勝ち8割、負け2割の場合。
8割の勝った人たちが、負けた2割の人たちの資金を分け合います。
 
ヘッジファンドなんかは、個人と比較できないような資金を動かします。
上記の勝ち1割の人たちの多くがこのような連中です。
 
もちろん個人投資家が機関投資家たちに勝つ場合もありますが、
多くは8割の勝った人たちの例に入ることが多いように思います。
 
それはそれで構わないのですが、問題はインサイダーが確実に
法に触れないように行われていることです。
単純な相場を張ることなんてないのがこの連中です。
着実に別のアプローチから儲かる仕組みづくりが行われてきました。
 
 


東谷暁さんというフリージャーナリストがいます。本に書かれていた
彼の言葉が分かりやすいので引用させていただきます。
(「金融占領」の一部より)
 
アメリカを中心に生まれた「証券化」された経済は、「経済の民主化」
として称賛されることがある。ライブドアの株式を買ったトレーダーに
代表されるように、誰でもが証券の値段という基準だけで評価を決め、
誰でもが少額の投資金で参加できるからである。
しかし、これは本当なのだろうか。たしかに、バブル崩壊以前の日本の
金融システムは多くの規制があって、株式投資が国民のものとなったと
言われても、実際に売買する人間は限られていた。
 
日本の金融システムは、プロの世界はリスクが高くリターンも高い金融を
認めるが、一般のアマに対してはリスクが低い代わりにリターンも低い
ものだった。こうしたプロとアマの世界を規制で分けるかつての日本金融のシステムには煮えきらないところがあり、アンフェアなものに見える。
それに対して、アメリカが発達させたシステムは、プロもアマも同じ土俵で
勝負しているから実にわかりやすく、フェアなものに見えてしまう。
しかし、実はこれもある種の錯覚なのだ。証券化された資本市場は一見、
確率が支配する世界であるように見える。もちろん金融工学の理論では
その通りだろう。金融工学は「誰も市場を出し抜くことはできない」ことを
繰り返し指摘してきた。しかし、現実はそうではない。
インサイダー情報を使うことができる人間たちがいるからである。
そして、インサイダー情報とは、資本市場を形成している側、資本市場を
管理している側に圧倒的に偏在している。
 
1980年代以降、シリコンバレーは投資銀行と投資ファンドの支配するところとなり、まだ未成熟な新興企業を無理やり上場させてキャピタルゲインを獲得し、上場させた実体のない企業にM&Aを展開させて手数料と成功報酬を稼ぐ仕組みが成立した。これを「シリコンバレー精神」と呼んで、シリコンバレーの仕組みとは「仮の成功」でも資金が得られる素晴らしいものであるかのように称賛するコンサルタントもいる。しかし、現実は「仮の成功」が「失敗」に転じたとき所有する株式が紙切れになるのは膨大な数に膨らんだ一般投資家たちであり、「成功」に転じたときに利益の大半を山分けするのはインサイダーたち、すなわち実体のない企業、投資銀行、ファンド、コンサルタント、法律事務所、会計事務所なのである。
(了)
 
 
 


では、今の日本はどうでしょうか。翻弄されていると思うのは私だけではない
でしょう。では、今後どうするかという議論が少ないのが一番の問題であると思うのです。知識人はどうしようもないと諦めているのだろうか。
まだ、終わっていないのに、いつものように結論づけるのでしょうか。
どうなるかも大事ですがどうするかというのが現実的な問題です。
 

PS:例えば、映画を観に行く。
私たちが本当に観たいのは、ハッピーエンドに終わったその後の主人公
たちの生活なのです。現実(リアル)はそこにあります。

諦めたらそこで終わってしまうのが現実です。
だから、自分のできることを今日頑張ることから始めます。
 
今日は書いているうちに、お題からそれすぎましたな・・・。反省。
一週間ずっと考えていました。
マスコミの背信行為については草の根の有志が追求するとおりである。


手を出して握手を求められている。

まず、はっきり返事をしないといけない。
 
 

スクープ! マスコミがひた隠す、
マンモハン・シン・インド首相の親日マル秘?演説原稿
つづきはこちら
日本では、男尊女卑の考えがあります。
武家社会ではより女卑の考えが強くなり、
跡取りの男子を産まないと非難され、
(江戸時代には跡継ぎがいないためお家取り潰しもあった)
近代でもその風習が引き継がれ、工業化してもなお
「男は仕事をして女子供を養い、女は家庭を守るもの」
であるという考えが、
ごく普通でした。
日本以外でも、参政権がなかったり、重要なポストにつけなかったり、
よく似ている国は多いのです。
 
最近では、訳の分からないことがあります。ひとつは女性専用車両。
一部の女性のように男は文句言わないでしょう、差別だと。
ただ、痴漢の被害があるなら仕方ない。
しかし、数メートル先が女性車両なのだから、そっちに行ってくださいよ、
ラッシュ時なんだから、何故わざわざ隣の車両に乗ってくるかな?
そういった女性は多く見かけます。それは余計なお世話なのだろうか・・。
 
そして、産む機械発言?・・・だったら、私は給料を持って帰る機械です。
国民は税金を払う機械、と笑い飛ばす程度の話のような気がします。
 
差別といいますが、女のほうが精神的には強いのは
誰もが認めるところです。
あえて荒っぽい表現をすると、女は「阿呆」です。
例えば母子家庭。母親は目の前の子供たちを食べさせることだけに
気が
一杯になり、目の前のことだけを考えて一所懸命に働きます。
それだけしか考えれない阿呆なのです。
目の前のことをどうにかしようとだけ考えます。
 
男は同じ立場になると、将来の不安や、先々のことを見越して
考えるので、
目の前のことから逃げたい気持ちが生まれ、
立ち止まってしまいやすい。
そうなると気持ちが折れやすくなる。
 
これひとつをとっても世の女性は強いのです。
 
 
そして、一部のオヤジが下僕と化している事実はなぜ叫ばれないのか。
それは男として情けないことだからで、男の矜持かもしれません。
 
武士は食わねど高楊枝です。
 
中村主水が格好良いのは、
男として仕事を見事に完遂するからであり、
その上で、自らが周囲の犠牲となり家庭の和を尊ぶ
という、理想の男性像のひとつだからです。
 
しかし現在、日本人が培ってきたもの(男尊女卑の良い所等)が、
崩壊しているのが見え隠れしています。
 
一例として、最近の芸能人の結婚の話や、
韓流ブームについて思うことがあります。
 
昔から、ロマンスというのは例えばシンデレラや眠れる森の美女や、
白馬に乗った王子様です。
 
また、美女と野獣というのは相反する禁断の恋なのです。
(本質的には最後に野獣は姿を変えるので、
こちらもロマンスに入るのだが・・)
 
 
「身分の高い男性が、身分の低い女性に恋をする。
身分の低い女性が、身分の高い男性に惹かれる」
というのは許されてきたのです。
 
しかし、その逆の
「身分の低い男性が、身分の高い女性に恋をする。
身分の高い女性が身分の低い男性に惹かれる」
のはある意味、許されないこととしてあった訳です。
 
お笑い芸人が女優と結婚、
おばさんが韓流スターに夢中になるというのは後者ではないでしょうか。
 
結婚する以上、お笑い芸人を下に見るというのでないですが、
深層心理の中では、結婚した彼女たちはそういった感情を
知らずに持っているのではないでしょうか。
 
そして、男尊女卑のなかで育ってきたおばさんたちは
深層心理の気付いていない部分で、
韓流スターや氷川きよしを下に見ているのだと思います。
杉良太郎の前では、あれだけのことはできないはずです。
身近な存在や憧れというよりも、
身分の低いものに惹かれる、(語弊があるが)
 
 
 
禁断の・・・お姫様気分なのです。
 
 
 
そういう気分を自分の旦那には感じとれなかった世代が、
金銭的にも気持ち的にも余裕が出てきたので、行動に出る。
そして集団心理が働く。しかも彼女たちには元々行動力がある訳です。
 
 
 
 
 
私は男尊女卑を大切にしたいし、
どちらかといえば男尊女卑だと思っています。
 
 
 
実はお釈迦様の手のひらの上の孫悟空では?
という疑問が嫁との会話の中で感じることもあるのですが、
その事実は墓場に行くまで、隠蔽され続けるのかもしれない、
むしろ、そちらのほうがいいなという気持ちが強いのです。
 
 
 
 
打ち明けられた日には、そりゃもう、びっくりしますからね。
寛平さんが爺さんに扮して、そこらじゅう杖で叩き回って・・・言う。
 
「止まったら死ぬのじゃ~~~っ!!」
 
師匠が言うなら、さもありなん。(マグロみたいな爺だな)
 

女性も3度の食事以外に、間食として甘い物やおやつを
食べないと死んでしまう生き物らしい。
しかし、生命維持なら致し方ない。
 
痩せたい、痩せたいというものの、なかなか痩せない、
痩せてもリバウンド、
という人が多いと聞く。
 


「痩せれるのか?」と言う。

「いや、絶対に痩せる」

「いつまでに、どれだけ?よし、じゃあ、定期的に記録をつけたるわ」

「追求しやんといて」
 
とは、何事か。言い出しっぺはそっちだ。
目標とは「期間」と「数量」なのです。広告を見てみなさい。
怪しい広告ですら、3ヶ月で20kgとかって書いてあるでしょう。
目標をはっきりさせずに、体のラインをはっきりさせたいという訳か。
 
 


ところで、
野球のキャッチャーは大きく構える。
防具の色で的を大きく見せる。
どんな球が来ようが、後ろに逸らさない様に、
体で止めて前に球を落とす。

ピッチャーに安心感をもたせるために。

ここ一番でストライクが欲しいときは、ピッチャーに駆け寄り、こう言う。
「ど真ん中、ストライクで行こう」
同じ意味だが「ボール球だけは投げるな」と言うと逆効果で、
萎縮してしまうことがあるからです。
 
結果は同じかもしれないが、心理的な負担は違う。
プロですらそうなのです。
 
現在、痩せろというのではなく、
「今のままでいいよ。痩せなくても」と言っているし、
本当にそう思っているので、何も言わないでいます。
 根本的に間違ってる部分はありますが。
 




ダイエット中の皆さん、
 

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職業:
(今のところ)直接金融業
自己紹介:
我が拳は我流  我流は無型
無型ゆえに誰にも読めぬ
我が拳は邪拳ゆえ種明かしは一回きりよ
私の心持ちの一部です。

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