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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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長崎市長銃撃事件についての昨夜の報道言い訳特集ステーションは特にひどかったですね。

ハゲリーマンさんが分かりやすくまとめておられます。

読んで溜飲を下げたので、憤りを覚えていた私の気持ちが少し落ち着きました。

犯人の抗議の内容についてですが、暴力団が阻害されるのは
普通じゃないでしょうか。とち狂っていますね。

長崎市長のご冥福をお祈りします。
 
 


「チャンネル桜」
存続の危機であるということを美女の日記(チャミ猫さん)で知りました。
女には(めっぽう?)弱い。美女なら、なおさらです。

しかし、影響力のない当ブログ(日記)です。

宣伝はままなりません。

憂国の志士に迷惑のかからないよう配慮しますが、
今後の個人的な行動をお許しください(笑)
多くの人にまず知って貰いたいという趣旨ですので。


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米バージニア州が非常事態宣言=知事、外遊切り上げ帰国-米大学乱射
<米バージニア州のケーン知事は17日までに、前日起きたバージニア工科大学の銃乱射事件を受け、州に非常事態宣言を出した。知事は事件発生当時、アジア歴訪の一環で東京に滞在していたが、この後の予定をすべてキャンセルし、17日に帰国する。
 知事は声明で「州は大学や捜査当局、医療機関と緊密に連携し、必要とされる資源と支援を提供していく」と強調。被害者や遺族の支援にも全力を挙げる方針を示した。
 知事は、貿易振興を目的とした代表団を率い、日本、香港、インドを回る予定だったが、香港以遠の旅程を取りやめ、急きょ帰国することにした。>
 
韓国人の犯罪。
まず、韓国は国を挙げて謝罪しなければならない。韓国に対する悪影響という訳の分からない話が出ていますが、非難されて当たり前でしょう。
民族意識が強いというのなら、なおさら切り離すべきではないのです。
韓国人以外が言うなら分かりますが、「お前たちが言うな」と思います。
韓国の恥?いや、いつものあなたたちの理屈でいえば、韓国の一員と
なるはずです。そう言ってください。反応が卑しい。
「目をそらすな」「すり替えるな」です。
 
話を戻して。ケーン知事が投資促進のため日本に滞在していましたが、事件に対応するため帰国したのは、当たり前の行為だと思います。そして、非常事態宣言を出すのは妥当です。これは普通の判断です。
 
 
伊賀市長、地震後もゴルフ 夜は懇親会 「軽率だった」
<三重県中部を震源に15日に起きた地震の当日、同県伊賀市の今岡
睦之市長(67)が災害対策本部を設置したにもかかわらず、隣接する名張市内でゴルフをしていたことが分かった。伊賀市では震度5弱を観測していた。市長は市役所に登庁せず、夜の懇親会にも出席。市長は17日、「どうしようか迷ったが、引き揚げるべきだった。軽率だったと反省している」と話した。今岡市長らによると、ゴルフは伊賀、名張両市の親睦(しんぼく)目的の大会で、両市の幹部や市議ら32人が参加。今岡市長は4人のグループで午前10時20分ごろからプレーを始めた。午後0時19分の地震発生を受けて、市の担当者から連絡を受け、災害対策本部設置の指示をしたが、そのままゴルフを続けた。別の幹部職員は昼食後、プレーを中断して市役所に戻ったが、今岡市長は災害対応を副市長や幹部職員に任せたまま午後5時前までプレー。今岡市長はその後に名張市内で開いた懇親会にも出席し、市役所に寄らずに帰宅したという。一連の行動について今岡市長は「途中で帰ったら名張市に申し訳ないと考えた」と釈明している。>
 
「どうしようか迷ったが、引き揚げるべきだった。軽率だったと反省している」「途中で帰ったら名張市に申し訳ないと考えた」

普通の判断ができない。なぜ名張市に申し訳ないのか?言ってみろ。
非常事態に市長がゴルフを切り上げて何が悪いのか。
誰が後ろ指を指すのか。
一緒にいた名張の面々も同罪の阿呆。
なぜ、終わらないのか。
懇親会がそんなに楽しいのか。
部下が働いているときにするゴルフはそんなに楽しいか。
電話を入れてもいい、市長失格だと。
軽率?反省?ではなぜその後に名張市に申し訳ないという発言が飛び出てくるのだろう。
そんなのでは忍者をアピールしてというのも上っ面だけの仕事といわれ
てもしかたがない。

これのどこが謝罪と受け取れるのでしょう。

今岡市長よ、あなたがどんな人か知りませんが、
市長をやる器ではないことだけは確定です。


結婚前、競馬では中山や東京競馬場に行ったことは数度あります。
にもかかわらず、現在、東京には仕事で何度も行っていますが、
靖国神社には行ったことがありません。
ゆっくり時間をとって行ってみたいです。

恥をさらすようですが、一昨日中山競馬場に行きたかったなあと思ったときに、ふと考えたのです。

仕事上の商談でも年配の方々に戦争の話を良く聞きます。
若い頃は、それだけで商談時間が終わってしまうことも多々ありました。
 
そんなとき思い出したのが「藤井中尉」(特攻戦死後少佐に特進)の話です。
少し調べてみました。靖国神社の展示や、小林よしのり氏の「戦争論」にも書いてあったようですから、知名度はかなり高いはずですね。
 

藤井 一
(引用開始)
昭和19年12月15日早朝、埼玉県熊谷市の荒川で、幼い二児を道連れにした母親の心中遺体が発見されました。この話は当時の報道規制により記事を差し止められ、長い間ごく僅かな人にしか知られていませんでした。そして3年前、ついに特攻で亡くなった藤井一(はじめ)中尉の髪の毛と爪が、54年ぶりに母子3人の遺骨と一緒の墓に納まったのでした。
 
藤井中尉は茨城県の農家の7人兄弟の長男として生まれました。陸軍に志願し歩兵となりましたが、成績が優秀だった彼は、後に陸軍航空士官学校に転科し、特攻隊の教官に就きました。普通、特攻隊の教官は17、8歳の若い少年飛行兵に精神訓話や一般教育、それに先輩の勇姿の講話をして、自らは特攻しないのが通例でした。しかし、責任感の強い藤井中尉だけは、『お前たちだけでは行かせない。中隊長も後で必ず行く』と、ある時から自らも特攻隊員として護国の鬼になる決意を皆に誓うようになりました。勿論、夫を特攻隊に出すなんて妻のふく子さん(当時24歳)にしてみればとんでもない話でした。

 高崎の商家のお嬢さんだったふく子さんは、戦時中野戦看護婦として働いていましたが、中国で負傷した藤井中尉の世話をしたのが二人が知り合うきっかけでした。藤井中尉の性格を十分知り尽くしていたふく子さんでしたが、夫をみすみす特攻に行かせるなどとんでもない話。特攻に行くと頑として譲らない夫と毎晩喧嘩しながら志願をやめるようにと説得しましたが、歩み寄るどころか、二度も嘆願書まで出して特攻を志願する夫に対して、妻としての最後の思いやりだったのでしょう。

 ふく子さんは2人の子供とおつかいに行ったきり戻りませんでした。その夜、藤井中尉が家に戻ると家の灯りは消え、家には誰もいませんでした。机の上には、
 
『・・・一足先に逝って待っています』と書かれた遺書が残っていました。
 
必死の捜索も空しく、翌朝中尉の元へ悲報が入りました。中尉は現場に向う車中で同僚に『今日は涙を流すかもしれないが、勘弁してくれ』と言いました。ふく子さんは晴れ着を着せた千恵子ちゃん(生後4ヶ月)をおんぶし、一子ちゃん(4歳)の手を自分の手にひもで縛り付け真冬の川へ飛び込んだのでした。

 藤井中尉は、川の土手に毛布にくるまれ運ばれてきたふく子さんの足についていた砂を払いのけ、そして冷たい顔に口をつけ、『おれもあとからすぐに行くからな』と泣きながら誓い、頬紅を塗ってあげました。妻子の死からわずか5日後、それまで2度も却下されていた嘆願書が航空隊の慣例を破って受理され特攻隊入りが決定しました。

 それから約5ヶ月後の昭和20年5月28日、パイロットではない藤井中尉は、小川少尉の操縦する機に通信員として搭乗し、隊員10名と共に沖縄に向けて飛び立ちました。そして、『われ突入する』の電信を最後に妻子の待つ黄泉の国に旅立ちました。終戦の僅か2ヵ月半前のことでした。
(引用終わり)
 
 
「私たちがいたのでは、あなたの信念のもと、思う存分の活躍が出来ないでしょうから」「お互いの信頼と愛情」「勇気と覚悟」文字で表現をしようとすると難しいです。

それぞれが感じたり、伝わってきたりするものではないでしょうか。
 
 
 そして、藤井中尉は葬式が終わった後、娘あてに手紙を書きました。
(以下 昭和史の証言(2)「特攻散華」より引用)
 
冷え十二月の風の吹き荒ぶ日
荒川の河原の露と消えし命
母と共に殉国の血に燃ゆる父の意思に添つて、
一足先きに父と殉じた哀れにも悲しい、然も笑つてゐる如く喜んで、
母と共に消え去った、幼い命がいとほしい
父も近く御前達の後を追つて行けることだらう 
厭がらずに今度は父の膝に懐でだつこして寝んねしようね
それまで泣かずに待つてゐて下さい
千恵子ちゃんが泣いたらよく御守しなさい
では暫く左様なら
父ちゃんは戦地で立派な手柄を立てゝ御土産にして参ります
では
一子ちゃんも千恵子ちゃんも それまで待つて頂戴

(引用終わり)
 
 
 
 
そして、大西瀧治郎中将。
自らを統率の外道と自嘲し終戦の翌日、特攻で戦死した旧部下と遺族に対して死をもって償うため、介錯なしの割腹自決を遂げます。

神風特攻隊の生みの親であるといわれる大西瀧治郎中将の遺書。
 
「特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り、自重忍苦するの戒とならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ」


今日でこのブログ(日記)をはじめてちょうど一月になりました。

はじめるきっかけは、3人の男前に触発されたからです。
 

(内心、一ヶ月は続くはずもないだろうと思っていましたが・・・。)
 

途中から、せめて毎日書こうと(拙い文章ではありますが)思っていたのが実現できたことは良かったです。
とりあえず、自分で決めたことはできました。

これからは違う、なにか目標みたいなものを見つけていければいいかな
と気軽に思っています。

自分の決め事を作っていたので、肩の荷が下りたと同時に、再度、当初の思い通り、肩肘張らず鷹揚に書いていければと感じます。
 


そんな私が開設以来、唯一、我慢してきた事があります。

それはこのブログ(日記)を書くきっかけになった人達のことは、
あえて一月継続できるまでは書かないでおこうと決めたことです。
 

それも本日ようやく解禁です。
 
 

【愛國】ハゲリーマンの【憂國】日記(ハゲリーマンさん)
 

店長のよもやま話(ガチコメ店長さん)


雲のように…
月のように…
(神谷さん)
 

皆様それぞれ個性的な方です。

私が感じた共通点がいくつかあります。

その中の一つをご紹介しますと、それは大人の表現をされるということ
です。(残りは後日のために取っておきます。)

大人の表現とは、人をやる気にさせ、嬉しくさせ、奮起させる言葉ではないでしょうか。
 
謝意を述べるとともに、皆様のご活躍とご家族のご健康をお祈りいたします。
 
そして、コメントを下さった皆様、ハゲリーマンさんの掲示板でご挨拶させて頂いた皆様、拙いブログを読んで頂いた皆様、至らぬところは多々あったかと思いますが、お礼を申し上げます。



最近は酒を飲むと眠たくなるので、朝に書くことが多い。

今日は誰よりも早起きをし、ゆっくり一人の時間を過ごすことができる日。

家族が起きてきたら、ある意味てんてこまいのぐっちゃぐちゃになるのである。怪獣どもが寝ている隙に、滅私奉公前の一人の時間を楽しむのだ。(今日は口調がおかしい)
 
 

世の中口先だけでへらず口を叩くボクサー、偉そうな評論家、
身近な人間にもそういう輩がいる。
回りを見渡すとたくさんいるのではなかろうか。

自分はオレ様で、選ばれた神の子のように心から思っているのではないかと言う勘違い発言に、私は心から「おい、誰か注射持って来い」と言いたい。

その汚らしい口から出ている汚い言葉。「香水買って来い。そして、飲め」と言いたい。
 

クリスチャンではないが、神聖な日曜日、この辺りにしよう。

穏やかな心で過ごしたいものである。
 
 
 
 
 


「私を天才と呼び、成功者というのはあたらない。何もかも精一杯の努力をしただけだ」
(トーマス・エジソン)



「努力をせずに結果を出せる人間を天才と呼ぶのなら、自分はそうではない。努力しますから」(イチロー)


天才という言葉を容易に使いたくはないと、作家の浅田次郎氏もいう。


生まれついて格別に備わった才能は、誰にでも少なからずあるはずだからである。

そのわりに天才を感じさせる人間がいないのは、あらかたの人々がおのれの才に気付かぬか、信じぬか、あるいは才の存在に溺れて磨くことを知らぬかであろう。

すなわち、おのれの才にいち早く気付き、かつそれを信じ、才に恥じぬ努力を積み重ねることのできる者だけが、天才という称号を得られるのである。

言うのは易いが、これを現実に行うことのできる人間は少ない。


天才が稀有であるそもそもの所以である。


世に天才を自称する天才がいないという理由も、つまりはそれであろう。

才に恥じぬ努力を続ければ、その才が大きければ大きいほど努力も必
要とされる。

そうして世にでることのできた者は、もはや誰も自分の才能など信じてはいない。

努力の結果、当然かくあるものだと思う。

真の天才とはそういうものである。



「馬鹿と天才は、この世に存在することはまれである。すべてが我々凡人の世界である。
その中で半歩前に踏み出すことのできる勇気を持つことが大切である」(中内 功)


たしかに彼は人望のある凡人であったのだろう。(悪い意味ではない)




人知の及ばざる聖なるもの。その姿を描きとろうとする人間。
太古から続いてきたこの営みこそが、芸術というものの正体であろう。

だからこそ芸術家は芸術を語らず、天才は自ら天才と称することがない。

芸術を語り、天才を称したとたんに、人知の及ばざる聖なるものを描く資格は、たちまち喪われるからである。
 



凡人を称する人間は半歩踏み出すために、それを実感するための階段が必要となる。



「精神を凌駕することのできるのは、習慣という怪物だけだ」
(三島由紀夫)








 
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(今のところ)直接金融業
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我が拳は我流  我流は無型
無型ゆえに誰にも読めぬ
我が拳は邪拳ゆえ種明かしは一回きりよ
私の心持ちの一部です。

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