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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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結婚前、競馬では中山や東京競馬場に行ったことは数度あります。
にもかかわらず、現在、東京には仕事で何度も行っていますが、
靖国神社には行ったことがありません。
ゆっくり時間をとって行ってみたいです。

恥をさらすようですが、一昨日中山競馬場に行きたかったなあと思ったときに、ふと考えたのです。

仕事上の商談でも年配の方々に戦争の話を良く聞きます。
若い頃は、それだけで商談時間が終わってしまうことも多々ありました。
 
そんなとき思い出したのが「藤井中尉」(特攻戦死後少佐に特進)の話です。
少し調べてみました。靖国神社の展示や、小林よしのり氏の「戦争論」にも書いてあったようですから、知名度はかなり高いはずですね。
 

藤井 一
(引用開始)
昭和19年12月15日早朝、埼玉県熊谷市の荒川で、幼い二児を道連れにした母親の心中遺体が発見されました。この話は当時の報道規制により記事を差し止められ、長い間ごく僅かな人にしか知られていませんでした。そして3年前、ついに特攻で亡くなった藤井一(はじめ)中尉の髪の毛と爪が、54年ぶりに母子3人の遺骨と一緒の墓に納まったのでした。
 
藤井中尉は茨城県の農家の7人兄弟の長男として生まれました。陸軍に志願し歩兵となりましたが、成績が優秀だった彼は、後に陸軍航空士官学校に転科し、特攻隊の教官に就きました。普通、特攻隊の教官は17、8歳の若い少年飛行兵に精神訓話や一般教育、それに先輩の勇姿の講話をして、自らは特攻しないのが通例でした。しかし、責任感の強い藤井中尉だけは、『お前たちだけでは行かせない。中隊長も後で必ず行く』と、ある時から自らも特攻隊員として護国の鬼になる決意を皆に誓うようになりました。勿論、夫を特攻隊に出すなんて妻のふく子さん(当時24歳)にしてみればとんでもない話でした。

 高崎の商家のお嬢さんだったふく子さんは、戦時中野戦看護婦として働いていましたが、中国で負傷した藤井中尉の世話をしたのが二人が知り合うきっかけでした。藤井中尉の性格を十分知り尽くしていたふく子さんでしたが、夫をみすみす特攻に行かせるなどとんでもない話。特攻に行くと頑として譲らない夫と毎晩喧嘩しながら志願をやめるようにと説得しましたが、歩み寄るどころか、二度も嘆願書まで出して特攻を志願する夫に対して、妻としての最後の思いやりだったのでしょう。

 ふく子さんは2人の子供とおつかいに行ったきり戻りませんでした。その夜、藤井中尉が家に戻ると家の灯りは消え、家には誰もいませんでした。机の上には、
 
『・・・一足先に逝って待っています』と書かれた遺書が残っていました。
 
必死の捜索も空しく、翌朝中尉の元へ悲報が入りました。中尉は現場に向う車中で同僚に『今日は涙を流すかもしれないが、勘弁してくれ』と言いました。ふく子さんは晴れ着を着せた千恵子ちゃん(生後4ヶ月)をおんぶし、一子ちゃん(4歳)の手を自分の手にひもで縛り付け真冬の川へ飛び込んだのでした。

 藤井中尉は、川の土手に毛布にくるまれ運ばれてきたふく子さんの足についていた砂を払いのけ、そして冷たい顔に口をつけ、『おれもあとからすぐに行くからな』と泣きながら誓い、頬紅を塗ってあげました。妻子の死からわずか5日後、それまで2度も却下されていた嘆願書が航空隊の慣例を破って受理され特攻隊入りが決定しました。

 それから約5ヶ月後の昭和20年5月28日、パイロットではない藤井中尉は、小川少尉の操縦する機に通信員として搭乗し、隊員10名と共に沖縄に向けて飛び立ちました。そして、『われ突入する』の電信を最後に妻子の待つ黄泉の国に旅立ちました。終戦の僅か2ヵ月半前のことでした。
(引用終わり)
 
 
「私たちがいたのでは、あなたの信念のもと、思う存分の活躍が出来ないでしょうから」「お互いの信頼と愛情」「勇気と覚悟」文字で表現をしようとすると難しいです。

それぞれが感じたり、伝わってきたりするものではないでしょうか。
 
 
 そして、藤井中尉は葬式が終わった後、娘あてに手紙を書きました。
(以下 昭和史の証言(2)「特攻散華」より引用)
 
冷え十二月の風の吹き荒ぶ日
荒川の河原の露と消えし命
母と共に殉国の血に燃ゆる父の意思に添つて、
一足先きに父と殉じた哀れにも悲しい、然も笑つてゐる如く喜んで、
母と共に消え去った、幼い命がいとほしい
父も近く御前達の後を追つて行けることだらう 
厭がらずに今度は父の膝に懐でだつこして寝んねしようね
それまで泣かずに待つてゐて下さい
千恵子ちゃんが泣いたらよく御守しなさい
では暫く左様なら
父ちゃんは戦地で立派な手柄を立てゝ御土産にして参ります
では
一子ちゃんも千恵子ちゃんも それまで待つて頂戴

(引用終わり)
 
 
 
 
そして、大西瀧治郎中将。
自らを統率の外道と自嘲し終戦の翌日、特攻で戦死した旧部下と遺族に対して死をもって償うため、介錯なしの割腹自決を遂げます。

神風特攻隊の生みの親であるといわれる大西瀧治郎中将の遺書。
 
「特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り、自重忍苦するの戒とならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ」


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