Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
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サイレンススズカ
生涯成績 16戦9勝(うちGⅠ―1勝)
戦績だけを見てみよう。一流馬には違いない。
しかし、GⅠが1勝となると歴代の名馬の中では見劣りしてしまう1頭であろう。しかし、競馬ファンの記憶に残る馬の1頭であるのは間違いない。好きな馬の1頭である。スタートからゴールまで先頭で勝つという勝ち方が一番美しいとミホノブルボンの調教師はいう。
サイレンススズカは前半からハイペース、4コーナー辺りで少し息を入れ、再び加速してハイペースというもので、スローに落として姑息に逃げ切るような類いではない。素質だけでなく実際のレースで勝ち出したのは4歳から5歳にかけてである。(現表記3~4歳)
そして迎えた毎日王冠。
無敗でNHKマイルカップを制した4歳馬(現表記で3歳)エルコンドルパサーと、同じく無敗で朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)に勝ったグラスワンダーという2頭の超大物外国産馬が出走するとあって話題を呼んだ。この2頭ももちろん名馬である。3強対決と銘打たれ、まるでGI並みの注目を集めていたのである。1000mの通過ラップは57秒7。並みの逃げ馬なら潰れてしまうところだ。11か月ぶりの休み明けがたたってか、グラスワンダーはついていけない。一方、エルコンドルパサーが追い込んできたものの、すでに勝負の行方は決したあとだった。結局、サイレンススズカは影をも踏ませない完璧な内容で逃げ切ってしまったのである。エルコンドルパサーに騎乗していた蛯名正義は「影さえも踏めなかった」とコメントしている。武豊がレース後に出したコメント。「1000mを56秒台で通過しても平気な馬ですから、今日は比較的ゆったり行けましたね。直線で確認のために一応後続を見ましたが、全然かわされる気はしませんでした」
次レース。1998年11月1日東京競馬場。天皇賞(秋)。
天皇賞・秋といえば通常10月に行われる。
因縁めいたものを感じる。
11月 1日 11R 1枠 1番 1番人気
「今回もオーバーペースで逃げるつもりです」
前半の1000mはなんと57秒4。 2番手を進むサイレントハンターに10馬身も差をつけていた。この日の逃げは、いつものように、というには少し違っていた。2番手のサイレントハンターも本来は逃げ馬で、しかもサイレンススズカとはもともとスピードが違いすぎることもあって、サイレンススズカのかなり後ろで折り合いがついている。そして、サイレントハンターの位置自体が、馬群からしてみれば「大逃げ」と言っていい場所にいた。ところが、サイレンススズカはそのサイレントハンターをはるかに置き去りにして、前へ前へと進んでいく。サイレントハンターとの差ですら、5馬身、10馬身…。数えるのがばかばかしくなってしまうようなレベルに広がっていく。ましてや、そこからさらに離された後続の馬群とは何馬身差だったのだろうか。「この馬に乗っていると、楽しいんですよ。ほかの馬は、ついてこられないんですから」 サイレンススズカのスピードをこう評した武騎手だが、この日も手綱は持ったままである。1000m通過地点のラップは57秒4で、200m短かった毎日王冠よりもさらに速い、狂気のラップだった。 しかし、普通の馬なら「狂気」であっても、サイレンススズカにとっては狂気でも何でもない。そんな光景は、それまでにも何度も繰り返されていた。一介の逃げ馬であれば「自爆覚悟の玉砕戦法」といわれてしまうだろう。しかし、サイレンススズカは自分のリズムで悠然と走っていたのである。レースを凝視していたほとんどのファンが、栗毛の快速馬の勝利を確信していたことだろう。ところが、3コーナー東京競馬場の名物大ケヤキを過ぎたあたりで予想だにしないアクシデントが起きた。
疾走していたサイレンススズカのスピードが急激に落ちてしまったのだ。そこで14万観衆が見たのは、信じられない光景だった。
サイレントハンターが、サイレンススズカを交わしていくではないか。
サイレンススズカが交わされる。ここ1年間、まったく見ることのなかった光景だった。信じられなかったのは、ファンだけではない。サイレントハンター鞍上の吉田騎手も、レース中で、しかも先頭に立とうという瞬間であるにもかかわらず、その視線はサイレンススズカに釘付けになっていた。後続の馬の騎手たちも同様である。まるで、凍りついたかのようにすべての視線がサイレンススズカに集中した。観客席からは悲鳴とも絶叫ともつかぬ声が上がる。逃げてバテたのではない。故障を発生し、競走を中止してしまったのである。サイレンススズカは、もう走ってはいなかった。サイレントハンターに、そして他の出走馬たちが彼に迫り、そして交わしていこうとするその時、彼は懸命にゴールではなく、コースの外側、他の馬が来ない安全なところへとコースアウトしようとしていた。こなごなに砕け散った脚を引きずりながら。 東京競馬場は、悲鳴の後、沈黙に包まれた。凍りついた空間の中で、激しい攻防を繰り広げる直線だけが生きていた。
だが、この日東京競馬場を訪れた14万人のうち、果たして何人が古馬最高のレースが決着した瞬間を目の当たりにしただろうか。サイレンススズカの脚が砕けた瞬間、武豊騎手は夢の終わりを悟ったという。「何とか種牡馬として生き残ってほしい」 彼の騎手としての本能は、それがかなわぬことを感じ取っていた。だが、それをあえて無視したのは、彼の人間の部分だった。騎手は、レース中の予想もしない緊急事態にあっても、冷徹に判断を下さなければならない。このとき武騎手がなすべきことはただ一つ、後ろから来る馬との激突による事故を避けるため、サイレンススズカを安全なコースの外側へと持ち出すことだった。 しかし、サイレンススズカの脚はこなごなに砕け散っている。そんな馬を安全にコースアウトさせることは、多大な困難を伴う。この時サイレンススズカは立っていることすら不思議な状態だったのに、その馬をさらにコースの外側まで歩かせなければならないのである。このときのサイレンススズカについて、武豊騎手は「僕が怪我をしないように、痛いのを我慢して必死に体を支えていたんだろう」と信じているという。武豊騎手は、騎手としての使命を全うした。だが、獣医の診断は彼の願いを打ち砕くものだった。 「左手根骨粉砕骨折、予後不良」 そして、サイレンススズカはその日のうちに、ゴール板ではなく冥界の門を駆け抜けていった。 レース直後に事故の原因を聞かれた武豊騎手は、怒鳴るようにこう言った。「原因はわからないのではなく、ない」
症状はかなり重かった。左手根骨粉砕骨折。回復の見込みのない致命的故障のため、安楽死処分を取らざるをえなかったという。レース中に非業の死を遂げたこともあり、サイレンススズカの人気はいまだに根強い。よく、「逃げ馬は華麗だ」といわれる。確かにサイレンススズカの逃げは華麗と呼べるかもしれない。だが、それ以上に人の心を魅了したのは、かつて武豊が言っていたように「オーバーペースで逃げる」危うさにほかならない。「もしかして潰れてしまうのではないか」といった、一歩間違えれば大惨敗につながってしまうような極限のところで走る姿だったのではないか?稲原美彦の言葉がすべてを物語っている。
症状はかなり重かった。左手根骨粉砕骨折。回復の見込みのない致命的故障のため、安楽死処分を取らざるをえなかったという。レース中に非業の死を遂げたこともあり、サイレンススズカの人気はいまだに根強い。よく、「逃げ馬は華麗だ」といわれる。確かにサイレンススズカの逃げは華麗と呼べるかもしれない。だが、それ以上に人の心を魅了したのは、かつて武豊が言っていたように「オーバーペースで逃げる」危うさにほかならない。「もしかして潰れてしまうのではないか」といった、一歩間違えれば大惨敗につながってしまうような極限のところで走る姿だったのではないか?稲原美彦の言葉がすべてを物語っている。
そして、その日の夜、某所で泣きながらワインを大量にあおる武豊騎手の姿が目撃された。また、主のいなくなったサイレンススズカの馬房では、寝藁の上に崩れ落ちたままぼろぼろと涙を流す橋田師(調教師)
の姿があった。
後日談:サイレンススズカのいないジャパンC(国際Gl)を完全な横綱相撲で制したのは、毎日王冠でサイレンススズカの2着に敗れたエルコンドルパサーだった。4歳馬によるJC制覇は、あのシンボリルドルフでさえもなし遂げることのできなかった史上初の偉業である。ジャパンCの翌日、競馬実況で有名な杉本清アナウンサーは、京都駅でたまたまエルコンドルパサーに騎乗した蛯名正義騎手に会った。そこで、杉本氏はジャパンC制覇を祝福する言葉をかけたのだが、蛯名騎手から帰ってきた反応は杉本氏の予想もしないものだった。 「でも、本当に一番強いのはウチの馬じゃないんです」どう答えていいか分からず戸惑う杉本氏に対し、蛯名騎手はこう続けた。「ウチの馬も、サイレンススズカの影さえ踏ませてもらえなかったんですよね。どこまで強い馬だったのか。本当に残念なことをしました」騎手というものは、ただでさえ自分の馬を強いと信じたがるもので、いわんやこの場合、蛯名騎手の馬とは史上初めて4歳にしてジャパンCを制するという偉業を達成したばかりのエルコンドルパサーである。エルコンドルパサーがサイレンススズカに敗れたのは一度だけ、それもサイレンススズカの最も得意とする距離に乗り込んでの敗北に過ぎない。それにもかかわらず、「もう一度戦えば、勝てる」 蛯名騎手にそう思わせもしない、サイレンススズカが毎日王冠で見せた「永遠の差」。それは、果たして強さの差だったのか、それとも何か別のものの差だったのか。その次の年、エルコンドルパサーは日本から欧州への大遠征を敢然と決行した。そこで残した成果は、サンクルー大賞典(仏Gl)、フォワ賞(仏Gll)優勝、そして世界の最高峰・凱旋門賞(仏Gl)で欧州最強馬モンジューと死闘の末の2着という偉大なものだった。しかし、エルコンドルパサー陣営が、賞金の高い日本国内のレースに見向きもせずに欧州へと旅立ったのは、なぜだったのか。欧州遠征を発表する際に理由を問われた二ノ宮師はこう語った。「もはや国内の馬との勝負付けは済んだ」そのエルコンドルパサーが影すら踏むことができなかったサイレンススズカ。もしサイレンススズカが生きていたら、エルコンドルパサーには国内に1頭、倒すべき敵が残っていたことになる。競馬に「たら」「れば」がないことを承知で想像してみると、競馬界には今とはまったく別の歴史が形成されていたかもしれない。
「“スズカが好きだったから“ということでウチで働くことになった従業員もいます。”あんな悲しみは二度と味わいたくない“といって、獣医になることを決断した方もいました。そしてなにより、毎年欠かさず墓参りに来てくれるファンがどれだけいることか……」
天馬、空を行く。やっぱり私の好きな馬の一頭です。
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