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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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今日はファンの一人として、ちょっと悲しい話。
 
最近急な訃報が続いています。

阿部典史氏、黒川紀章氏、木原 光知子と今月に入って有名な方々の訃報が。
黒川さんについては、私は選挙で応援していたわけではありませんが都知事選から参院選と身体の調子が悪いにもかかわらず過酷な戦いをされていたようです。

木原さんもたまにテレビで元気な姿で映っていましたので突然でした。お若い方でした。

阿部典史さんことノリックも・・・・。
 


心よりご冥福をお祈りします。
 
 
 
私は高校生のときからバイクに興味を持ち、ガソリンスタンドでバイトをしたり、整備を教えてもらったりしていました。

鈴鹿で毎年夏に行われる8耐(8時間耐久レース)にも良く見に行っていました。

当時、日本のライダーでは平忠彦という男前のライダーが有名でしたね。
 
帰る際、人が多いので出発を少し遅らたこともありましたが、そうすると途中の飲食店はイナゴの大群が来襲したかのように「ごはん」ありませんという店が続出していました。
 
今はバイクとあまり縁がありませんが、懐かしく思い出されます。

ですが、ノリックはよく知っています。ファンの一人です。
 
 

先日、10月7日、32歳にして生涯の幕を閉じられました。
 
「現場は片側2車線の直線道路。Uターン禁止区域だったが、左側の車線を走っていたトラックがUターンし、右側車線を後方から走ってきた阿部さんの大型スクーターが突っ込んだ。」というニュースを目にした方も多いと思います。
 
はじめは「悲惨な事故やなぁ」と思いましたが、すぐに「えっ?ノリック?」とびっくりしたことを思い出します。
 
改めて書こうと思ったのは、ノリックのお父さんの言葉を自称?中年金融マンのぐっちーさんのところで知ったからです。お父さんの言葉を引用させていただきます。
 

「ぐっちーよ、俺たちの世界は本当に狭い。視野もせまけりゃ、人生なにもわかっちゃいないんだ。とにかくぐっちーがみて何かおかしい事があったら、こいつをぶんなぐってやってくれ・・・」
 

という付き合いだったといいます。
 
 

お父様の光雄さんはその事故を起こしたドライバーに向かって、
 


「事故だから、しょうがないよ。ノリックも多分すごいスピードで突っ込んだんだろう、プロのレーサーだからね、俺があんたでも避けられなかったと思うよ。だからあまり落ち込むなよな・・・・」
 

と声をかけられたと聞きました・・・・・
 
こんなこと、誰が言えるのでしょう?? 最愛の息子を失ってなお・・・・
 
勿論そのドライバーはその場で号泣したそうです。
 
 
世の中にはどうしようもない親子がいます。

しかし、こういう人たちもいます。

最近の一連の殺人事件とは根本的に違う事故ですが・・・。
もしかすると過失があったのかも知れません。
しかし、今の私ではまだ無理な発言だと思いました。

深く考えさせられる言葉であり、態度です。
 
その息子の阿部典史(あべのりふみ)さん、ニックネーム、ノリック(Norick)とはどんな人だったかというと、やはり皆から愛された人で、世界的なライダーでもありました。
GPのチャンピオンに何度も輝いているロッシは、彼に憧れ、尊敬し、「ろっしふみ」と名乗ったことでも有名です。
 
 
数台を一発で抜き去るロケットスタートやアグレッシブな戦い、

トップレーサーに嫉妬された技術、有名な激しいバトル、

負けて心底悔しがる少年のような姿、

勝って無邪気なまでに大喜びする人懐っこい笑顔、

レースの興奮と感動を素直に伝えくれて、

ファンを大切にする姿勢、

「今日は、
40度熱があって調子悪かったけど表彰台に立てて良かっ

たです」と悪戯っぽいやんちゃなところ。

ファンはまだまだ語りつくせないと思います。
 
 
 
伊藤真一選手(全日本ロード)
「あいつは弟みたいなやつだった。後先考えずにあっけらかんと、思ったままのことを言葉にする。裏表がなくてかわいいやつだった」
 
 
バレンティーノ・ロッシ
94年の「日本GP」でのドゥーハン選手らとの死闘を見て、阿部さんのファンになったといい「若い頃、あなたのポスターを部屋に張っていました。01年のへレス(スペインGP)では、一緒に表彰台に登りましたね。同じレースで戦えた事を誇りに思います。典史は僕の心の中でずっと生き続けます」
 
 
 
出棺の際には、阿部典史さんが乗っていたヤマハのオートバイのエンジンがかけられ、爆音とともに霊柩車は走りました。
 

この日、関係者とファンをあわせて3200人が別れを告げました。
 
 
最後に「御礼」という題で発表された一文を紹介します。
 
故阿部典史の葬儀に際しましては、多くの方々にご会葬いただき、誠にありがとうございました。お陰をもちまして葬儀も滞りなく執り行わせて頂きました。厚く御礼申し上げます。また、会場にお越しになれなかった方たちからも多くのご弔意を賜り、重ねて御礼申し上げます。
 
事故の一報以降、ファンの皆様からBBSに寄せられた約2,000通におよぶメッセージは、プリントアウトのうえ納棺させていただきました。皆様のノリックへの思いが込められたプリントアウトは約3cmもの厚みになり、いつも書き込みの数を気にしていたノリックも、たくさんのメッセージに囲まれ喜んだことと思います。誠にありがとうございました。
 
最後になりましたが、喪主・阿部光雄氏の告別式でのご挨拶を掲載させていただきます。
 
「本日は、息子・典史のためにお忙しい中たくさんの方にお越しいただき、誠にありがとうございました。32歳と1ヶ月ちょうどという非常に短い人生でしたが、関係者の方々、そして多くのファンの方たちのお陰様で、楽しいレース人生が送れたものと感謝しております。ありがとうございました。典史にとって、2人の幼い子供を遺して逝くことには、計り知れない無念さがあることと思います。どうか2人の子供たちにも、皆様からのご支援ご指導ご鞭撻賜りますよう、お願い申し上げます。簡単ではありますが、挨拶に代えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」
 
 
気丈な父親と、世界で活躍し皆から愛された息子。
 
まだ書き足りないですが、ファンの立場から、こういう人や親子がいたということを少しでも知ってくれればと思いました。

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無題
木原さんのことを「報ステ」でやってた時、古館が最後にカメラ目線で「さよなら」って言うてて、ママと二人で「えっ!!!!」ってなりました。

奴は間違えなく「どあほ」ですね。
シバ 2007/10/21(Sun)15:04:46 編集
Re:無題
マジで・・・・。

薄情という以前に、終わってますね。
もう直らないです。間違いないです。
【2007/10/21 23:39】
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