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京の五條の橋の上
大のをとこの辧慶は
長い長刀ふりあげて
牛若めがけて切りかかる
牛若丸は飛びのいて
持つた扇を投げつけて
來い來い來いと欄干の
上へあがつて手を叩く
前やうしろや右左
ここと思へば又あちら
燕のやうな早業に
鬼の辧慶あやまつた
・・・えっと、尋常小学校唱歌です。
牛若丸の話は聞いたことがあると思いますが、
その情景がそのまま伝わってくる歌です。
源平勝負の晴れの場所
武運はこの矢に定まると
那須餘一は一心不亂
ねらひ定めてひようと射る
扇は夕日にきらめきて
ひらひら落ちゆく波の上
那須餘一の譽は今も
屋島の浦に鳴りひびく
こちらも尋常小学校唱歌です。
ご存知、那須与一が平家の船上の扇を弓矢で射落としたという
平家物語に出てくるお話を歌にしたものです。
こちらも情景がそのまま伝わってきます。
勘の良い方は分かったかもしれません。
題名に書いたような気もしますが、
今回は「日の丸」についてです。
弁慶の立往生、立派な豪傑のその少し前。
武蔵坊荒れたる駒にさも似たり拍子をはめて繋ぎ留めばや・・・。
武蔵坊弁慶は千本の太刀を集めていました。
999本まで来た時、そうあの京都五条の橋の上!
以来義経の家来となりました。
その時に牛若丸が投げつけた扇には白地に赤い丸が書かれていました。
その後、源平合戦に繋がっていくわけですが、
ここで那須与一の登場と相成ります。
歌の通り、遥かかなたの平家の扇を弓矢で打ち抜くわけですが、
その平家の扇が赤字に白い丸が描かれていました。
源氏が白地に赤の丸が描かれた旗、平家は逆の赤字に白の旗を掲げていました。
これは何を意味するか。
平家が勝っていれば日の丸は赤字に白だったかもしれないという話。
で、その後の武士(家)は皆、源氏の流れを汲んでいると言いますよね。
合戦の時には家紋をあしらった旗を掲げるのはもちろんのこと、
日本の覇者であるというような戦いの時には日の丸を掲げていました。
有名な長篠の合戦時を例に挙げると、武田は日の丸を掲げました。
連合軍である織田・徳川も日の丸を掲げました。
日の丸にはそのような意識があったということです。
私はこの話を恩師に教えてもらった記憶があります。
ウィキペディアには載ってませんでした。
そのかわり小難しい事が書いてありました(苦笑)
「日の丸を子供に伝えるときに・・・」
桜井よしこさんや中川昭一さんが以下の動画(※)でも述べられていますが、
このように面白く伝えてあげたらいいという提言もありました。
愛着をもちますもんね。それに関する唱和もあったし。
昔の唱和は教育をする上でやっぱり意味があったんです。ちゃんと。
そしてそれを大人がちゃんと伝えていたんです。
ただ、(下の動画には)こういった話を知らないという声もありました。
なので、「まずは大人からやん・・・・」と思いました。
日本には物語が多いです。
わたしもおばあちゃんから子守唄(物語)はよく歌ってもらいました。
自分の住んでいる地域にすら、かならずそういった話があるもんです。
それを知ると地域がもっと身近に感じます。だから子供には教えています。
国も一緒だと思います。
で、自慢ですが・・・・・私の住む地域には聖徳太子が登場します。
凄いっしょ(笑)
(´-`).。oO(で、次は福沢諭吉とも縁を持ちたいわけです・・・・・)
・・・・・・・・・・
(※)
日の丸の由来
http://www.youtube.com/watch?v=0ZIHk2M94OQ
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無型ゆえに誰にも読めぬ
我が拳は邪拳ゆえ種明かしは一回きりよ
私の心持ちの一部です。