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Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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最近は競馬を自粛していますが、競馬談義もなかなか楽しいものです。

競馬が嫌い、興味がない方も多いと思いますが、今日はギャンブル面でない話も少し書きます。
 
今年は馬券自体はあまり買っていませんが、とりあえず自身初の万馬券記録更新、大幅プラス収支確定により勝ち逃げいたします。(今年の天皇賞秋の3連単ゲット。)
 
しかし、あのお金はどこに消えたのかというとですね、はじめは銀行に入れておいたのです。
すると、生活費やらなんやら自動引き落としされました。

嫁曰く、「毎月の引き落としの分を入れてなかってん」という意図的なものが作用していました。
 
 
『返してな』
 
 
「ええやん」
 
 
『いやいや、あかんがな』
 
 
「うん、いつか」
 
 
『いつ?』
 
 
「いつか」
 
 
 
彼女は三言で持っていきました。
 
そもそも、その当日、急に焼肉を食べに行ったのが間違いでした。

なかなかいい筋していますし、なかなか厳しい。

その多少強引なところに好感を持ったので、しょせんギャンブルのあぶく銭、私も欲を抑え、
凛々しく武士は食わねど高楊枝と致します。思い出すとパソコンのモニターが滲んで見えますがね。
 
 
 
 
 
======
 
昨年の天皇賞(秋)の天覧競馬について、以前に以下のように書きました。
 
~~~
昨年は今上天皇、皇后両陛下が秋の天皇賞をご観戦されました。ヘヴンリーロマンスという牝馬が優勝し、鞍上の松永幹夫騎手がメインスタンドに移動し、帽子をとり、胸に手を当て最敬礼をしたのは格好良かったです。素晴らしかった。様になっていて、良い風景でした。松永騎手も栄誉として心に残るでしょう。
(※念のため追記しますが、騎乗馬が故障した場合を除き、競走後にコース内で騎手が下馬することは禁止されています。)
~~~
 

今年は最後に有馬記念だけ少々・・と考えています。
 
競馬で有馬記念といえば一年の総決算のグランプリです。
 
もう、思い出がいっぱいですが、今日は1991年の有馬記念のお話。
 
ダイ「ユウサク」、メジロ「マックイーン」の俳優馬券ということも言われました。
 
14番人気で1着馬のダイユウサクは、馬主が孫と同じ名前を付けようと思い、ダイウサクとするはずが、手違いでダイウサクになったという話があります。
 
あまりの惨敗続きで、馬主すら、コウサクに変更するのはまずいと思ったほどでした
 
はじめは競走馬ではないような感じで、レースではタイムオーバーはするし、他の馬についていけなかったんです。
 
そんな馬が暮れのグランプリに出るまでに成長しました。
 
 
当時、ダイユウサクは、
 
デビュー前には「見込違い」といわれ、
 
デビュー後は「(違う意味で)とんでもない馬が現れた」といわれ、
 
レースに出ると「何しに出てきたんや」と言われ、
 
「有馬にこの程度の馬を出していいものか」と推薦委員にいわれ、
 
有馬記念に勝っても世紀末を理不尽が駆け抜けた」といわれ・・・。
 
 
散々。
 
でも・・。
 
 
 
競走馬としては無理という烙印を周囲から押された中で、
最後の有馬は断然一番人気のマックイーンをちぎり「コースレコード」です。
 
圧倒的強さを誇ったマックイーンにすら抜くことのできない
「永遠の着差」をつけたのです。
 
 
 
競走馬としては?がつく時代から、主戦騎手は「熊沢」という騎手です。
 
この馬を支えた主戦騎手や調教師、厩務員をはじめとする面々の
 
彼らのダイユウサクに対する評価は世間とは少し違っていました。
 
もちろん苦労しました。
 
身体が弱く他の馬と同じエサを食べれない馬でした。
 
当初は人間の残飯を食べて育った馬です。
 
競走馬となってからもあまりの負けっぷりに引退の文字が常につきまとっています。
 
賞金に期待できない競走馬の管理費というのは馬鹿になりません。
 
口癖のように「もう少し様子を見させてください」という裏方の声がなければ引退していたでしょう。コースをぐるりと回ってくるというだけの馬でした。
 
裏方の努力なくしては、馬主も「しょうがないやつ(馬)だなあ」とまで言わなかったと思います。
 
担当厩務員も初心者の未勝利馬専門スタッフです。しかし、徐々に走るようになって来ました。上位人気に支持されるレースも出てきました。がしかし、そのときにはもう引退してもおかしくない年齢に差し掛かっています。
 
「やっぱりだめか・・」
 
「こいつは走るんや!」
 
「もう年齢的に厳しい・・」
 
「まだ開花したばかり。大丈夫!」
 
スタッフも信じるばかりではありませんし、不安と期待がぐるぐると回っていたと思います。でも結局は、この馬が好きだったのです。
 
 
 
そんなダイユウサクのエピソードをひとつ。
 
 
ダイユウサクの口取り式は、グランプリの割には関係者も少なく、やや寂しいものだった。ダイユウサクの馬主である橋元氏は、まさかダイユウサクが勝つ とは夢にも思わず、中山競馬場に来ていなかったのである。橋元氏は内藤師から
 
「最高の仕上がりです」
 
という報告を受けて顔をほころばせてはいたが、本気にはしていなかったのだろう。
ちょうどこの日に東京ディズニーランドに遊びに行くという娘と孫娘に
 
「ついでに有馬記念でも見て来いや」
 

という謎の言葉を与えて送り出し、自分は自宅でテレビ観戦を決め込んでいた。

テレビを見ていた馬主ですらぶったまげた世紀の大波乱は、この年の、そして有馬記念史上の単勝
最高配当というおまけ付きとなった。
 
その日、ダイユウサクの担当厩務員が夕食を終えてダイユウサクの馬房に帰ってくると、馬房の前に
は書き置きと缶ビールが置いてあった。書き置きを開いてみると、
 
「ダイユウサクとお先に祝杯を挙げました」
 
という熊沢騎手のメッセージが残されていたという。

熊沢騎手とダイユウサクは、二人だけの祝勝会で何を語りあったのだろうか。

結局、この年ダイユウサクは、1年の始まりである金杯と締めくくりの有馬記念を制し、1991年は文字
どおり「ダイユウサクに始まり、ダイユウサクに終わった」1年となった。
 
 
 
 

普通の人、ハンデのある人、老人等、
人間の社会でも当てはまることが多いですね。
 
 
非常識、モラルのない人間が増えているというニュースが多い中ですが、
 
本来、親は子供を投げ出しますか。放棄しますか。
 
自分の都合で甘やかしますか。
道を外れそうになると叱りませんか。
投げ飛ばして体で覚えさせませんか。
 
 
血の繋がった自分の子供は諦めれないのと同じです。
 
愛情というのは、「諦めることがでけへんのや」という気持ちだと思います。
 
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馬ネタで
ちょっと う る っ とキタ・・・。

こういう話は、嫌いではありません。
いや、どちらかと言わなくとも好きです。
canako 2007/12/06(Thu)18:24:33 編集
Re:馬ネタで
私も好きですね。(←だから紹介したんですが。)

困難なことでも忍耐を持って、気力を充たして生活せなあかんですな。

継続は力という話でもあるんですかね。
競馬では「無事これ名馬」という言葉もあります。
【2007/12/06 19:29】
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