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今、中川昭一元財務・金融相の死亡が確認されたという報道がありました。
驚きました・・・とともに何ともいえない気分です。
ふと頭をよぎったのは「自殺なのかな?」ということでした。
そのあたり(死因)の事はまだ何も報道されていませんが、非常に残念に思います。
一国のことについて頑張っていただけた政治家だったと思います。
酒を飲んで記者会見をした場面、それについてはもちろん良くないことですが、
しかし、マスコミを始め提灯解説者等が馬鹿笑いして、そこまで追い込むか?と、
お前は何様なの?という人がたくさんいたと感じていました。
中川氏の功績には一切触れず・・・。
速報で流れたのでどこかのテレビでやっているかと思ったら、どこもやっていません。
かろうじてNHKが速報ニュースでアナウンサーが喋っていました。
(その後も一度現場から報道はしていました。)
サンジャポでは司会の田中の離婚の特集をしていました。
途中で「速報が入りました」と太田や田中が驚いていたのですが、
アナウンサーの青木は
「はいっ!注目しないでください!!」
と遮り番組を進行させ離婚の話題にさっと戻りました。
こいつらホンマ腐ってます。速報を確認してもそのことに触れさえしません。
大事なことではないと判断したのでしょう。
そして時間を遅らせて、また好き勝手なことをタレ流すつもりか。
こういったことに限らず、こんなのが蔓延しているんです。
こんな奴らのためにも仕事しなきゃいけなかったんですよね。
腹が立つと同時に非常に悲しく感じました。
心よりご冥福をお祈りします。
原監督は野球理論では他球団の監督に負けているという声もありますが、一流選手を使うのも上手く、自身の育てた選手を使うのも上手いと感じます。
原監督はWBCで村田が負傷して広島の栗原を呼びました。
選考から漏れた時にでも栗原は「今日の練習が終わるまでは候補です」と言って黙々と練習を続けた態度を見ていて、他の選手にも彼の「たゆまぬ心」を見習ってもらいたいと言ってましたね。自己犠牲を払えるのは、それだけの思いを注げる指導者がいるかどうか。プレイヤーの心意気をわかってくれる者がトップにいるかどうか。そんな部分も多いんちゃうんかなぁ・・・って。
実力ある選手が大リーグに行ったり等、広島から阪神へ(苦笑)という具合で人材が流動的になったりと、昔と違いチームカラーが変りやすい昨今、野村さんのいう「見えない力」というのはあるんでしょうね。(変らないもの、で、チームの伝統になって受け継がれていく)
原監督は、「舞台へ上がり結果を出す若い選手には、必ずと言っていいほど『朗らかさ、素直さ、謙虚さ』の、3つの資質が備わっています」って言います。「私は野球人であると同時に社会人です。」とも。V9の時に川上監督が新人の高田選手(現:ヤクルト監督)は大成すると言ったらしいですが、理由は「親孝行だから」という一点だったという話もあります。
今期、打倒巨人は難しそうです・・・。
WBCにおいて、韓国と勝負できたのは誇りであると勝ってからも相手を賞賛する原監督を見ても分かるような気がします。
この調子を維持しリーグ連覇をするようなことになると、ホント、巨人の第二黄金期がくるかもしれません・・・。
来ました。お前さんたち。
黄金期、来ました。
鳩山内閣 閣僚名簿等
この際、(語弊があるかもしれませんが)揺さぶりをかけたり、民主党を割ることを考えてもいいんじゃないかと。新しい保守政党作って看板ごと変えた方がはやいかもしれません。そうしないと日本が終わ(以下略。
「公の場で愚痴るなよ~」とも思います(笑)
美恵子婦人はマイナーリーガーのヨメと自称しています。移動時には自らハンドルを握るマイナーの奥さん方。
彼女のいう正しいマイナーリーガーのヨメの中には移動の15時間のうち、給油する時以外は走り続ける奥さんもいるらしいです。
そんなに大変な思いをするのだったら、メジャーの時に買った自宅を売ってマイナーの本拠地に移り住んだらいいのでしょうが、そうはいきません。
メジャーに昇格してその自宅に住むのが本来の目指している姿なんだから・・・。
(以下、青色:田口選手、橙色:恵美子夫人)
多くのマイナーの奥さんは、車で行ける距離は車で走る。
仕事を持っている人が多いから、
夫のスケジュールと自分の都合などを調整しながら、ホームタウンとチームの町を行ったり来たり。
アメリカ野球は身も心もタフであることが求められるが、それは選手ばかりか奥さん達にも言えることだ。
民間航空機ならもちろんファーストクラス。移動はプライベートジェットと決めている人もいる。
年間の契約金を払い、あとは利用したいときに、電話して料金を支払うだけ。
「カリフォルニアの遠征、乗って行く?」
「うれしいけど、いくらかなあ?」
「そんなの気にしなくていいってのに!」
いや、気になる。調べたら1回のチャーターで100万円近くかかっていた。
しかも、この間は誰々が出したから、今回は私が払うの、と言っていた。
乗せてもらうということは、自分の支払う番がいつか来るということだ。
だから丁寧にお断りして、私はインターネットで取った安チケットで飛んだ。
こんな日々を与えられたことを感謝しなければ、アメリカ野球に携わった意味がないというものだ。
背中にはりついている「TAGUCHI99」の文字を、隠して歩きたいと思ったことが何度あっただろう。
こんなことを書いたら主人はきっとショックを受けるに違いない。
しかし、田口の家内であるがゆえに
「セントルイスに帰りやがれ!」と絡まれたり、売ったサインをつき返されたりしたことが、実際何度もあった。
お酒が入っている人が多いので、
笑ってかわすこともできないくらい、しゃれにならない怖さをいつも感じていた。
「私はゴミを投げつけられたの。その時は涙が出て、
その後はとてもじゃないけどユニフォームを着られなかった。
主人に申し訳ない、と思いつつも、やっぱり怖くてね」
高額の年俸でありながら、思うように活躍できなかったある野手の奥さんは、そう振り返る。
私たちが着て歩くユニフォームには、あらかじめそれぞれの選手がサインをしてあり、
チャリティーの終わりにそのユニフォームを脱いで売る、ということもあったが、
控えの選手であるがゆえに誰にも買ってもらえず、「私だけ貢献できない」と泣いた人もいた。
「お前のダンナのはいらないから、もっと有名な人のを持ってきて」とはっきり言われたのだそうだ。
自分の主人がどれだけ低迷していようと、目だたなかろうと、
誰よりも彼の日々の努力を誇りにしているのは、私たち自身なのに。
攻撃されることを恐れて、まるでその選手とは無関係です、とでも言うように、
主人の背番号を外してこそこそするなんて。
この罪悪感は、控え選手や中継ぎ投手など、目立たない役割を担う選手の奥さんの多くが経験していた。
本当に野球が好きな人は、
控えや中継ぎの大切さをよく知っていて、進んでその奥さんから買ってくれようとしたが、
大多数はやはり、スター選手のものを欲しがる。それは当たり前の構図だし、仕方のないことだ。
しかし、それゆえに得るものもあった。
私たちはユニフォームを脱ぎ、チャリティーに参加しないことで、
こうした「現場の声」から逃れることができる。
だが、主人たちには逃げ場所はない。
どれだけきつい言葉をかけられても、どれだけ罵られても、
ファンの前に正面から立ち向かっていくしかない。
プロだから、お金をいただいているのだから、当たり前だ。
その厳しさ、つらさを知ることは、
主人の仕事を理解するという上で、とても大きな意味を持っていたように思う。
あえて感想は書きません。
次に田口選手の今シーズン終了時の弁。
契約上の問題で、どんなにがんばっても昇格はない、と伝えられたのは、足の怪我から復帰して間もなくのことでした。
それまでは、いつ上がれるか、いつクビになるか、と毎日を過ごしていたため、一週間先のことを聞かれても、どこにいて、何をしているか分からない、という状況でした。
寛の学校のこともあり、三者面談の予定を先生に尋ねられても、答えられない。
寛が友達の誕生会に呼ばれても、行けるかどうか分からない。そんな毎日は苦しかったと思います。
でも、もう上がらないのだから、そしてセプテンバーコールアップも間違いなくないのだから、アイオワカブスのスケジュールだけをにらみながら生きていればいい、そんなに簡単なことはない、それが、「メジャーには戻れない」と伝えたときの、ヨメの返事でした。
僕はもちろん、まだ野球を続けたいと思っています。
自分の心と身体がくじけない限り、まだ現役でいたいと願っています。
その願いが叶うのならば。状況が許してくれるのであれば。
40歳という節目を迎え、「これから自分はどうなっていくのか。どうしたいのか」という現実問題に直面しています。誰もが一度は通る「引退」という二文字は、とても身近になってしまいました。悲しいし、寂しいですね。
だからこそ、与えられた、残された時間を大切にしたいと思っています。
このシーズンが終わったら、僕は一人、レンタカーに荷物を積み込み、自分の来し方行く末などを考えながら、静かにセントルイスへ戻るつもりでした。
きっと、そんなふうにデモインを立ち去るんやろうと思っていたのです。
ところが、友人家族が最終戦を見に来てくれることになったため、ヨメが16人乗りのバンを借りて、幼稚園バスの運転手さんのようにガタゴト登場したのです。
しかもそのバンは、僕らが遠征先で球場入りするのと、まったく同じバン。
静かに考えながら渋く立ち去るどころか、他の選手やクラビーさんたちに、
「まだ遠征に行くのか」とからかわれながら、一見大変楽しげにアイオワに別れを告げることになったのでした。
どうしてもかっこよくなれない僕の野球人生を象徴するような最終日。
おかげでなんだか、来年はきっと笑って野球ができる、そんな気がしています。
2009年も、変わらずそこにいてくださったファンの皆さん、本当にありがとうございました。
大リーガーの先輩の野茂投手にしても、トレードや解雇通告が何度もありましたし、代名詞のトルネードを捨ててまで、その度その度、這い上がってきましたね。
問 「自ら道を切りひらき、困難を何度も克服した不屈の闘志」について、
(1)「自ら道を切りひらき」とは、どのようなことを指しますか。
(2)「困難を何度も克服した」とは、どのようなことを指しますか。
(3)野茂投手の「不屈の闘志」は、彼のどのような姿勢を基盤としていますか。
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無型ゆえに誰にも読めぬ
我が拳は邪拳ゆえ種明かしは一回きりよ
私の心持ちの一部です。