Cloud(クラウド)のきまぐれ日記
Cloud クラウドのブログ。日々の雑感・・・・・・・人,仕事,時事,金融,家族,ギャンブル,喜怒哀楽その他諸々。
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昨日久しぶりに「あいのり」を見ました。
テレビをつけたらやっていました。普段は全く見ることのない番組。
「IN台湾」と出ていましたので、ちょっと見てみようとなった次第です。
メンバーとか名前も知らなければ、本来の番組内容は全く記憶していません。
メンバーの質問が出来すぎている感じがありましたが、見ていない人のためにとりあえず紹介します。
番組内容を引用します。
台湾のおばあちゃんが「私は李という者で日本の名前は樺島です。日本人大好きです。今でも心の中では日本人だと思っています」と言っていました。
李さん「日本人の方はね台湾に来て いろいろ建設しましたよ。みんな日本のおかげですよ。日本(時代)の時は日本の正月迎えます。玄関の前にね 門松を立てて」「今もある。そしてあの国旗も掲げます」
李さん「ないです皆日本慕ってますよ。あの恨んでないですよ」
李さん「みんな今はね中国人とは思わない台湾人だけど心の中ではまだ日本人みたいですよみたいに思っています。みんな日本時代はもうとても教育も受けてよく教えてくれた。日本精神をね。みなさん日本精神わかる?日本精神というのは義理堅い真面目 勤勉であって台湾人は日本人よりも日本精神を守っているそうです」
李さん「日本を大事にしてください私達の好きな日本をね。そして日本と台湾の架け橋の新しい方になってください」
李さん「私もとても期待しています。やっぱり日本人が好きだから・・・」
日本人以上に日本を大切にしている台湾の人達。
日本が承認している世界の国は191カ国。
その中に台湾は入っていない・・・
2chの台湾体験談もメモとして以下に書きとめておきます。
37 名前:美麗島の名無桑:2001/07/26(木) 22:08 ID:???
花蓮という台湾東部の町がある。9年前、台北から軽い気持ちで、友人と連れ立って足を伸ばした。
駅前から程近い宿の夕べ、暇を持て余した僕たちは、夕涼みがてら散歩に出かけた。
名物のさつま芋のお菓子の店を冷やかしたり、ワンタンのおいしいお店で小腹を満たしながら、1時間も歩いただろうか。
陽は既に落ちかけ、涼やかな風が心地よく吹き抜けていた。戦前の日本家屋が夕陽に深く染められ、僕は子どもの頃に戻ったような錯覚をしていた。
宿への帰り道、友人が、「おい、ちょっと見てみろよ」と、ふいに声をかけた。
どうも印鑑の店らしい、日本語で、「印鑑スグデキマス」と書いてあった。友人は、「ちょうどいい。ここは大理石が名産なんだ。造ってもらえよ」と言い、僕の腕を引っ張った。
店では、中年の店主らしき人が、汗を拭き拭き、刻印の作業に打ち込んでいた。友人が台湾語で声をかける。店主は僕に微笑みかけ何ごとか尋ねる。僕は日本語で答えた。
「すみません・・・印鑑が欲しいのですが」。
店主の表情が、何とも言えない笑みと、緊張を湛えた。やがて耐え切れぬように、 「日本人の方ですね」。
「はい、そうです」
「日本人の方、いまは来ない。お父さん、私のお父さん、とても日本語じょうずだった。日本の、方、いっぱいお客さん、来ました。ハンコ、いっぱい、造りました」
僕は印鑑を注文した。大理石のよいものを選び、姓名印と、書斎印を頼んだ。
店主は瞳を輝かせていた。
明日の朝、出立前に届けてくれると言う。宿の名前を告げると、「ありがとう。お父さん、日本人にハンコ造ってあげられたこと、うれしい。私もいま、日本の人に、ハンコ造って、お父さんと同じことできて、うれしい」
店主の目はうるんでいた。
花蓮が好きになったきっかけは、この出会いからだった。
107 名前:心も美麗島:01/11/30 20:40
では、私もひとつ....
以前、福岡で知り合った台北の友人を訪ねて旅行した時の話です。
その友人にドライブで九イ分に連れて行ってもらった。途中、観光商店街を 見物している最中、あろうことか迷子になってしまった。30分以上探したが 友人は見つからず途方にくれてしまった。言葉はわからないし不安で仕方なかった。
そこへ老夫婦のおじいさんが、流暢な日本語で声をかけてくれた。
事情を説明したら、ついて来なさいといってくれ、近所のおじいさんの親戚の家に案内された。友人は携帯電話を持っていたが、あいにく電話番号のメモを車の中においてきたために連絡の取りようがない。
おじいさんの親戚の息子さんが、台北のあちこちに電話を掛けまくってくれて、それから1時間後ようやく友人と連絡をとることが出来た。
やがて友人が迎えにきてくれたが、おじいさんが、食事をしていきなさい、といってくれた。 友人と、夕食をご馳走になりながら、いろいろ半世紀以上前の昔話を聞かせてもらった。
当時、日本人の人たちに大変お世話になったのだと聞かされた。
話をしながら涙ぐむおじいさん。
その話を聞いて、思わずもらい泣きをしてしまいました。
友人も、日本人の見方が少し変わったよ。といってくれた。
ありがとう、お世話になった、台湾のみなさん!!
当時、日本人の人たちに大変お世話になったのだと聞かされた。
話をしながら涙ぐむおじいさん。
その話を聞いて、思わずもらい泣きをしてしまいました。
友人も、日本人の見方が少し変わったよ。といってくれた。
ありがとう、お世話になった、台湾のみなさん!!
108 名前:心も美麗島:01/11/30 21:03
追記...
その後、台北の友人に頼んで、おじいちゃんに贈り物をしてもらった。
(日本から送りたかったのだが輸送費が高すぎだったので、台北の
日系デパートで日本酒を買って届けてもらった。)
しばらくして....
おじいちゃんから、国際郵便でウーロン茶と日本語で書かれた手紙が届いた。
そして今、おじいちゃんは私のメールフレンドなのです。
326 名前:みるみる:02/03/10 05:56
台南にて。
観光名所の「赤篏樓」に行くため、ホテルをAM11:00に出た。
ガイドブックの地図ではホテルから「赤篏樓」までは徒歩で10分程度。
30分程歩きまわったが「赤篏樓」を見つけられない。なんでやーー。
漏れは、再度ガイドブックを見てテメーの位置を確認していた。すると、女神様(台湾人)が現れて、漏れに「どうした?」と日本語で声を掛けられた。
台湾南部には「美しい日本語を話す老人が沢山いる」つーのを、ガイドブック&インターネットで知っていたので驚きはしなかった・・・・がっ。
漏れがガイドブックから顔を上げると、スクータに乗った小さなコ汚いジジーがに目の前にいた。
ジジー「どうした?お前日本人だろ?何処に行きてぇんだ?俺が教えてやる」
発音も何もかも完璧な日本語。つーか、乱暴な言葉を使う単なる日本人のジジー。
(これほど完璧な日本語を話す人は初めてだった)
漏れはアッケにとられながらジジーの方に歩いていき、
「日本人です。赤篏樓に行きたいんです」
ジジー「なんでぃー、赤篏樓かよ!!!ケッ!!!。それなら、この道を真っ直ぐ行って2本目の交差点を左に曲がれ、右手に赤篏樓がある」
漏れは呆気にとられながら「どうもありがとうございました」とペコリ。
ジジー「おぅー、きーつけてな。」
漏れは暫く放心しながら歩いていた。
ジジー「なんでぃー、赤篏樓かよ!!!ケッ!!!。それなら、この道を真っ直ぐ行って2本目の交差点を左に曲がれ、右手に赤篏樓がある」
漏れは呆気にとられながら「どうもありがとうございました」とペコリ。
ジジー「おぅー、きーつけてな。」
漏れは暫く放心しながら歩いていた。
844 名前:美麗島の名無桑:03/10/12 18:46
つい先週だが、友人3人と4泊5日で台北へ行った。
現地では沢山の人が親切に助けてくれたが、一番心に残ったのは夜に九分(本来は人偏に分)という町へ行った時のこと、着いて間もなく雨が降り出した。
私たちは傘を持っていなかった。
店はどんどん閉まっていき、観光客もいなくなった。
仕方がないので、ガイドブックによく出てくる風景だけ見て帰ろうと近くを歩いているおじいさんに道を聞いた。おじいさんは「すぐそこだよ・・・」と指を指しながら案内してくれた。
「おじいさんもコッチの方角に帰るのかな・・・」と心配しながらも着いていくと、
雨が少し強くなった。
おじいさんは持っていた大きな傘をさし、私たちに入るよう言ったが、おじいさんが濡れてしまうと困るので私たちは拒んだ。
目的地に着いたとき、おじいさんは我々に傘を差し出して「これを持って行きなさい」と言った。たったいま会ったばかりの見ず知らずの私たちにだ。
「いけません!あなたが風邪を引いてしまいます。タクシーを拾うから大丈夫」と言うが、なかなか承知してくれない。やっとのことで御礼を言って別れると、私たちは目的の風景で写真を撮り始めた。
その、ほんの数分後・・・向こうから先程のおじいさんが帰ってくるではないか!
どうしたんだろうと見ていると、おじいさんは黄色いものを3つ私達に差し出した。
それはビニールの「カッパ」だった。
コンビニでひとつ33元もするカッパを、彼は買って戻って来てくれたのだ。
それも3つも、初めて会った日本人の為に!
「私はね、日本に行った事があるんだよ。もう10年も前だけどね」
おじいさんはそう言うと、最初に出会った方角へゆっくりと帰って行った。
私達は涙が出そうになって思わず拝んだ。
944 名前:コピペ本日のレス 投稿日:2005/03/27(日) 20:22:53 JksiwmXV
オレじゃなくて、いやね、ウチの母親なんですよ。
母親が台湾に旅行するってんで、お守り持たせた訳ですわ。
母親の入ってる団体の慰安旅行だから別にそんな危ないわけじゃないんですけど、ウチの母親飛行機乗ったことないイナカモンなんで、怖がったから持たせたんです。
お守りっていっても、翡翠の玉(漏れが山で拾ってきて磨いてキーホルダーに加工したやつ)なんですけどね。
で、無事帰ってきたおかんがなんか暗い顔してんの。
どうしたの、楽しくなかったのか?ってきくと「財布落とした」って。
台北かどっかのタクシーの車内にうっかり忘れてきたみたいだ、って言うんですよ。
財布はともかく、漏れに貰った翡翠の玉を入れてたのが申し訳ない、ってなんかもう死にそうな顔で
あほだなあ、おかんが無事で帰ってきたんだからじゅうぶんなんだっつーの、って言ってもまだ立ち直れないの。
945 名前:コピペ 本日のレス 投稿日:2005/03/27(日) 20:23:29 JksiwmXV
んで、そんなことがあって帰国から10日くらいたった日にね、国際郵便が届いたんですわ。
差出人は台湾のヒト。
なんじゃこりゃ、とおもって母親が開けると、そこには落とした財布が入ってたのね。
ついてた手紙には
「私はタクシーの運転手だが、台北の駅であなたたちを降ろしたあとに財布を見つけた。
追いかけて返そうと思ったが、もう見つからなかったので失礼と思ったが財布の中身を見させてもらった。運転免許証を見つけたのでその住所にこの財布を送ります。私は日本語が読めないが、祖父が日本語の読み書きが出来るので代筆してもらいました」
とかあったんですよ。
もうね、アホかと。
行きずりの外国人のサイフですよ?ネコババしてもばれないのに、律儀に送り返すって、どういう人たちなのかと。おまけに、入れてたNT$も全額そのまま。
で、封筒には別の包みも入ってて、それには「財布を落としてしまってはお土産が買えなかったのではないか。とても美しい翡翠の玉が入っていたのであなたは石が好きな人なのだろう。お土産代わりにこれを贈ります。どうか台湾にまたいらしてください」とかいう手紙と翡翠のブレスレットが入ってたんですよ。
もうね、なんつー人かと。
ちょっと書いてて涙出てきちゃうくらい、イイ人じゃないかと。
こんないい香具師がいる国だったらこんどは漏れも行ってみたいなと思ったわけでした。
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